でないの唄

本屋で本を買う楽しみの一つは目当てでない本に出合うことだったりする。でない本との出会い。その一つに「装丁買い」というのがある。ものは器で食うという。多少モノがまずくても器が立派だったらなんとなくおいしく感じるのが人だ。となると、本でいう器は装丁だろう。装丁が立派だったら面白そうに見える。多少中身がまずくてもインテリアとして飾っておけばいい。絵画を飾るよりかよっぽど安価だし。
本屋に行ってお目当ての「である本」ついでに「でない本」買う。家に帰って先ず開くのは「でない本」である人がいる。私だ。ラーメンが食べたくてバーミヤン行って、気が付いたらチャーハン食べているタイプの人がいる。そう。私だ。これはラーメンの器よりチャーハンの器がよりよく見えたわけではない。所詮バーミヤンの器。ギリギリ学校給食の食器より上、くらいの多分落ちても割れない器だから、別に器で食うわけじゃない。意志だ。私の意志の弱さがそうさせる。それでも満足してしまうのだから私という人間の器の小ささが知れるというものだ。
「である本」は「である本」たる理由がある。好きな作家、シリーズ、話題の、映画化される、借りパクされた、読まずに食べた、エトセトラ…。一方の「でない本」は当たり前だが前情報がゼロなわけで、読んで面白い場合、期待値がなかった分「出会ったな」と思う。折に触れて「である」よりも「でない」に意味がある。もちろん、チャーハン食べた帰り道、「やっぱラーメン食べたかったな。というか、ラーメンに半チャーハンでもよかったな」と背中を丸めることもしばしば。正々堂々「である」に浸るというのも人生には必要だ。
先日、とあるデザイナーの人と打ち合わせがあった。その人のアトリエにお邪魔した時、そこの本棚があれ、これ、俺んちの本棚か?…と思うくらい自室の本棚に似ていた。
「この本、ウチにあります」「あ、これ私が装丁デザインしたんです」「あ、これも」「あ、これもね、装丁は…」「へえ。え、これは?」「そうですね。やりました」
そのどれもが装丁買いをした「でない本」の数々であった。別に、本の装丁の打ち合わせではなかったので、まぁ、そういう意味では想定外の出会いだった。という小噺。お気に召しませ。

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