新事成語

楚という国の商売人が「どんな盾でも貫く矛とどんな矛も通さない盾を売っている」言い、それを見ていた客の一人が「じゃあ、その矛でその盾を貫こうとしたらどうなる?」と尋ねると、商売人は「まう…まう…?」と言葉に詰まったという。
このことから矛盾していることを「矛盾」というようになった。
…ええっと。そういうことだ。説明は省く。
その手の故事成語は当たり前だが昔の話で、今路上で矛を売ろうものなら通報されるし、そもそも盾は買う必要はなく、「どんな盾でも貫く矛とどんな矛も貫けない盾があります!」と言う人がいれば「変な人いたwww」とツイッターに勝手にあげられるのが関の山だ。
だが、当時、それはもう”今”の話だったはずだ。”今”の出来事をうまく言葉にした人がいて、それが今日では故事成語として生きている。となると、2017年現在の事柄をうまく言葉にすると、1000年後にはそれが新しい故事成語として伝わっているというのも十分に考えられる。
ということで、新しい故事成語、その名も「新事成語」を考えてみた。

○逆綾鷹(ぎゃく-あやたか)
・由来:
それはもう丁寧に丁寧に作られた綾鷹というお茶がありました。綾鷹の急須で入れたような、にごりの旨味は、他のお茶とは異なり、試しに京都の料亭の板前100人に飲ませたところ「これは一番美味しい」と選ばれたのは綾鷹でした。一方で、100人が100人「これは雑味がすごいなぁ」「雑味がなぁ…」と思うお茶がありました。しかし、そこはいけずな京都人。「このお茶おいしないなぁ」とは言いません。「このお茶…なぁ?」「せやねぇ…」と、それぞれがそれぞれぼんやりした悪口を言っていた時、とある板前が「これは逆綾鷹やなぁ」と言うと、「せやせや」「逆綾鷹や」と場が盛り上がったといいます。
・意味:
ひどく雑な仕事、もしくはそれによって生じる結果が雑なこと。
・使用例:
「田中。この書類、逆綾鷹。やり直し」

○Suica富豪の貧乏メシ(すいかふごう-の-びんぼうめし)
・由来:
とある東京で勤める男がその日の朝、自分のSuicaに2000円チャージをしました。昼時、社外でお昼ご飯にしようと思い、会社を出ると財布をデスクに置きっ放しにしたことを思い出しました。
「まぁ、でも、ポケットにSuicaあるし…。朝チャージしたし…なんなら2000円もチャージしたから贅沢できるし…」
男はお店に入って聞きました。
「電子マネー使えますか?」
「ごめんなさい。ダメなんですよ」
「あ〜…」
二軒目。
「電子マネー使えますか?」
「ごめんなさい。うち電子マネーだめで」
「ですよね〜」
三軒目。
「電子マネー…」
「使えますよ!」
「使えますか!やった!」
「楽天Edyだけですけど」
「エディーめ…」
結局、コンビニで適当に買って、会社に戻って食べました。
財布には何なら3軒はしごできる金があったといいます。
・意味:
面倒臭がった結果、それなりに残念なことになること。
・使用例:
「田中、この書類、逆綾鷹。やり直し」
「(うわ、Suica富豪の貧乏メシじゃん)…すいませんやり直します」

○インスタ映えブス(いんすたばえ-ぶす)
由来:
とある自撮りの技術がすごいブスがいました。
出会い目的の男がDMで連絡を取り、二人はデートをすることになりました。
デート当日、集合場所に着くも男の方は彼女を見つけられません。しばらくすると、目の前にいた一人のブスが声をかけてきました。
「あの、すみません…」
「あ、ごめんなさい。今ちょっと、待ちあわせしていて」
「まさっちょ(アカウント名)さんですか?」
「あぁ!…ええ!?ゆうにゃん(アカウント名)さん!?ええぇ!」
なんやかんやでベットインした帰り道、まさっちょはゆうにゃんのインスタを見ながら「すげぇ可愛い娘と寝たんだなぁ」と思いました。
その日は満月でした。
・意味:
見たい側面だけを見ようと思えば見られる。
何に目をつぶるかは自分次第ということ。
・類語:
とけないパネルマジック(とけない-ぱねるまじっく)

○推しツイートの0いいね(おしツイート-の-ぜろいいね)
・由来:
ある人がツイッターで渾身のおもしろツイートをした。しかし、待てど暮らせど、「いいね」も「リツイート」もされない。数日後に呟いた「電車乗り過ごした」というどうでもいいツイートに「いいね」が5件くらいきて、少しイライラしたという。
・意味:
人とわかり合うのは毛頭無理なので、他人に過度な期待をするべきでないという教え。

…とまぁ、最近こういうことを考えている。
これを読んでいる人も興味があれば、是非自分の「新事成語」を考えてみてほしい。そして、思いついたら教えてほしい。
そんな風に思うのだけれど、多分誰も考えてくれないし、思いついたところで教えてくれないのを知っている。
まぁ、昔から「推しツイートの0いいね」って言うしなぁ。

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ヘッド・ヤクザ

頭がヤクザにあった。先日のことだ。
徹夜で働いて明けた昼下がりの新橋、会社の帰り道に「あ、ヘッドスパしたい」と思った。
たまには贅沢したっていいはずだ。とはいえ、俺にスパは贅沢がすぎる。せいぜいヘッドスパかフッドスパ、そこらへんがお似合いだろう。頭寒足熱とも言う。言うからなんだ。よくわからんが、俺に全身スパはまだ早い。
新橋を<妖怪・へっどすぱ求道>よろしく練り歩く。そんな妖怪はいないが「求めよ、さらば与えられん」てなもんで、すぐに見つかった理髪店の看板には「ヘッドスパ 2700円」の文字。
2700円・・・。
難しいところだ。ちょっとした贅沢には違いないが、これが高いのか安いのか分からない。事前にヘッドスパの相場を調べてから来るべきだったのかもしれないが、わざわざヘッドスパ行くのに相場を調べるのもなんだかなぁ、だ。それこそスパだったら。スパに行くんだったら、相場・評判・名物スパティシャン(?)・発射・非発射いろいろ調べて行く。しかし相手はヘッドスパだ。わざわざ栃木に行くのに下調べをするような、タイムもマネーも無駄にする感じは否めない。
で、2700円・・・。
日高屋だったら、ラーメンにチャーハンと餃子付けて、ビール二杯飲んで余裕でお釣りが来るくらい?
いや、バカか俺は。これから贅沢をしようというのに日高屋を物差しにしてどうする。
もしかしたら少し高いのかもしれないが、よく見ると外装も高級感のある理髪店だ。北千住や南千住にある、店主が人の髪を切るのに専念するあまり、自分の髪を全く切らず好き放題に伸ばしていて、客が「逆にこっちが切りましょうか?」と不安になる店とはワケが違う。だとしたら、2700円。破格なのでは?
勇気を出して、店の扉を開ける。
「ヘッドスパを…したいです」
「ご予約は?」
・・・いるのか。見くびっていた。そうだ。ここは新橋・ビジネスの街。貧民街・北千住や南千住とは違う。よく見ると外装に高級感があったじゃないか…。初めから注意してかかるべきだった。
「してない…です」
間。
「大丈夫ですよ。どうぞ」
さすが、よく見ると外装に高級感がある店だ。無礼な訪問にも懐が深い。
「普通のヘッドスパとオイルとございますけれど?」
なんだオイルって。ヘッドスパを「頭をいい感じにスパしてくれる」くらいにしか思っていなかった俺にオイルという選択肢が現れた。しかも、わざわざ<普通の>を一回かましておいてからの<オイルの>だ。
「オイルで」
もちろん、二つ返事。ちょっと心の中でいい男風に言ってみた。
「オイルだと別料金頂くことになりますが、大丈夫ですか?」
男に二言はない。
「…オイルで」
発言自体は二言目だが、そう言った。
その後、座っていた椅子を倒され、仰向けになった状態になり、オイルで頭をスパされる。
「あー贅沢してる。あーこれ贅沢してるよ」
心の中でそう言った。口で言ったらバカだと思われるからだ。頭によく分からないオイルを塗り込まれながら、マッサージされている。ただそれだけなのに、こんなにも気持ちがいいのか?
これは…洗礼…?頭に油垂らされているし。
ヘッドスパ教のヘッドスパ教徒になってしまうのか?おれは?
そうか。これか。思わず教徒になってしまうかもしれないと思うほどの気持ち良さを金で手に入れる。これか、贅沢というのは・・・。
贅沢とはこれ即ち意味もなく金を使って気持ちいいことをすることなのかもしれない。
「もしかしたら、また来てしまうかもしれない」
心の中でそう呟いた。声に出したら、きしょい奴だと思われるからだ。
オイルをだいぶ塗られながら、頭を揉みほぐされること30分。すっかり「次はいつ来よう」という心でレジに向かう。
「5760円です」
おぉ…おぉ?…おぉ。お、おぉ?
…オイルか?オイルが何かを、主に値段を、底上げしたのか?俺は頭にガソリンでも塗られていたのか?何を恨めばいいんだ?アラブか?アメリカか?
5760円というのは、バーミヤンで言えば4人家族がそれぞれ「しばらく中華はいいかな」と思えるくらいたくさん食べられる金額だ。
でも払ったよ。大人だもん。アラブに払ったよ。悪いのはアメリカだよ。なんの話かな。そう頭がヤクザにあったんだよ。
慣れない贅沢はするものじゃない。そして、贅沢をしようとするとこういう罠にはまる自分を可愛いと思う。

やんごとなき出戻り

むかしむかしあるところに、やんごとなき方とやんごとなきこともなき方がいました。
やんごとなきこともなき方は海で「王子」と呼ばれていたそうです。八王子の”王子”くらい軽い意味の王子です。それでも王子。腐っても王子。全くやんごとないかと言えば、ギリやんごとある。そんな王子です。
そんな二人はひっそりと愛を育んできました。デートには必ずSPがついてくるという、ハードモードなオプションつきでも王子はめげませんでした。
「手でも繋ごうか」
王子、勇気出しました。
「うん…」
静かに近づく手と手。その間に入るSP。そのSPは多分、黒人です。黒人でスキンヘッドのSPだったことでしょう。大の大人が3人で手を繋いで道を歩いている。そういう不思議な光景を見たと言う人もいたとか。
「俺は彼女と手を繋いでいるのか?黒人と手を繋いでいるのか?」
もっともSPも「これは野暮だし、王子と手を繋いでも何の得にもならない」と思ったので、その一件以来、距離を置いて観察するようになりました。
その二人とSPとの距離にうまく入り込んだのがマスコミでした。それまでひた隠しにしていた二人の恋が割と下品なカタチで世に出てしまいました。
「目には目を。歯には歯を。」それだと喧嘩になってしまう。それならいっそ「下品には上品を」。そう思ったやんごとなき方々はそれはそれは上品な会見を開きました。
別に怒っちゃいないけど、100%怒ってないわけじゃないぞ。
「具体的な時期が決まる前に突然報道されたことにより、多くの方にご迷惑をおかけし申し訳なく思っておりますが…」とあたかも見つかったこちらサイドに非があるようにいなしました。高度です。高度ないなしです。
とかく件の会見では稽古量が見えるセリフのやりとりをしたり、その割には「なんでもっと稽古しなかったの?」というくらい下手にお互いを見つめ合ったり、急に「let it be」とか言ってみたり。
とかく、二人の関係は公になり、しばらくしてやんごとなき人は苗字を手に入れ、元・やんごとなき人になりました。

それから数年後。
元やんと王子は一人と一人に戻ることになりました。
空前絶後の出戻りにやんごとなき人たちは「いっそ会見。むしろ会見」と離婚内定会見を開きます。

ー今の率直なお気持ちをお聞かせください。
元ヤン「具体的な時期が決まる前に突然報道されたことにより、やっと踏ん切りがついたと言いますか…」
ー両陛下にはどのようにご報告し、どのようなお言葉がありましたか?
元ヤン「先ほど御所へご挨拶に参りました。例の、とてもゆっくりとした口調で、とてつもなく怒られたのですが、そのおことばは私の心の中に留めていたく存じます」
王子「旧宮様と同様に心の中に大事に留めたく存じます」
ー離婚の意思を固めるまでの経緯について、具体的にお聞かせください。
元ヤン「2017年の9月の会見では具体的に申し上げられませんでしたが、プロポーズは2013年の12月に都内での食事の後、2人で歩いていた時であったと記憶しています。その時に、『苗字、欲しくない?』と言われました。その時は『あぁ、私と彼の中でしかなし得ないプロポーズだな』と思いました。学習院に入らず国際基督教大学に入るなど、元来アウトサイダーでいたいという気持ちは強く、若気の至りと申しますか、その時からもう失敗の始まりだったのと存じます。細かいことは多々ありますが、彼の水回りに対する杜撰な扱いは毎朝私をひどくナーバスにさせました」
王子「重なるところも多いと思いますが、ある朝『苗字、もういらない』と言われた時に、一本の糸がプツンと切れる思いがしました」
ー普段はどう呼び合っていたんですか?
元ヤン「実演はご遠慮もうしあげるのですけれど、具体的に申し上げえると、おい、とか、お前、と呼ばれることが多かったと記憶しております」
王子「初めのうちはファーストネームで呼び合っていたのですが、旧宮様は結婚してしばらくして名前すら呼んでくれなくなりました」
元ヤン「月が満ちるたびに報告してくるのが、初めのウチはロマンチックだったのですが、それが毎度となると、次第にルナルナに思えてしまって…。私を喜ばそうとしてくれるのですが、一度喜ぶと同じ手を繰り返すところがありまして。例えば、美味しいきんつばを買って来てくれたらから、『このきんつば美味しいね』というと、毎日買ってくるんですね。嬉しいんですよ。嬉しいんですけれど、そういうことじゃないでしょう、と。次第に『下手に喜ぶと続く』と思うようになってしまって。喜びたい時でも喜ばないようにしようって、それが、喜びたくても喜べないようになってしまって。一言で申しますと、単純なんです。初めはそこが好きだったんですけど、次第にそこが好きじゃなくなって。本当に太陽みたいな人なんです。日照り続きで、ダムの水が減ってしまうように、私の何かが減っていったんです」
元ヤン「結婚した時は私が太陽で、旧宮様が月でした。それは今も変わりません。それでもやはり、太陽と月は相容れないんですよね。同じ時間に一緒にいられないから、いつでもイタチごっこで。こういう結果になってしまったのは、これはこれでlet it beなのかなって思います」
ーこういうところですか?
元ヤン「こういうところです」

それからしばらくして、2人は正式に一人と一人に戻ったと言います。
2分に一組の夫婦が離婚する国に伝わる昔話です。

それはそれで

ものすごく朝早くにミサイルが撃たれていて、起きたら避難を促す速報もとっくに流れていた。
もし、いい感じに落ちていたら、家で寝たまま死んでただろう。それはそれで、ゾッとするよな救われるよな。
きっと俺はあの世で「逆に運がいいなぁ」と呟く。痛く殺されるのは嫌だから。気がつかないくらいの切れ味で殺されるのなら、不倫と一緒で、俺にバレずにやってくれるのならば、それはそれでいい。
「それはそれ」で納得出来ないのはいつだって残された側で、そんな不条理な持っていかれ方をしたら恨みつらみになる。その数が大きくなったものを戦争と呼んだりするのかもしれない。
なんなら、いっそのこと俺の周りの大切な人も一緒に持って行って欲しい。ガツンとした暴力でどうにかして欲しい。あの世で残した人を思うのも嫌だし、思われるのも嫌だ。器用に俺と俺の好きな人たちだけを殺せるのであれば、それもそれでありかなと思う。俺が殺されるという理由で勝手に殺される周りの人はたまったもんじゃないだろうけど、茶目っ気たっぷり、愛嬌たっぷりに謝れば許してくれるんじゃないだろうか。
「いや、こっちも勝手に殺されたんで!おあいこで!」
無理か。無理だな。
とかくこの世はあやふやだ。
つくづく暴力って覚悟がいると思うし、覚悟のない暴力って迷惑。悪だとは思わないけど、迷惑。あやふやな世界に必要なのはせめて愛嬌なのではないかと思う。

夢十夜

俺は悪夢を見ない。多分見ないと思う。見ないんじゃないか。ま、ちょっと覚悟はしておけ。誰に対する宣言なのかはさておき、悪夢を見た記憶が本当にない。悪夢は人殺しとか堕胎と一緒、人生で経験しなくていいことの一つだ。そう思っていた。
でもついに昨日見てしまった。松居一代でいうなら「私は見てしまったのです」だ。言ってないかもしれない。松居一代はいろいろな意味で悪夢的だけれど。
こんな夢を見た。
俺は自分が書いた芝居の本番で、セリフが全く入っていないのにも関わらず初日を迎え、「まぁ、自分が書いたからなんとかなるだろう」と舞台に出たら、当たり前のようにセリフが出てこず、なんとなく流して、控え室に戻り、終盤の出番に向けて「いかに自然に台本を持ちながら舞台に立てるか?」ということを考えるが、それを考えている間に俺の場面は終わっていて「こんなことならやらなきゃよかった」と冷たい顔をした観客を見ながら絶望する。
そんな夢をみた。起きたら汗がダバダバだった。
「うわ〜悪夢だ。悪夢だよぉ」
誰に言うわけじゃないが、朝一人でそう言いながら家中をぐるぐるした。そうしないと平常に戻れなかった。
日にちが変わって今日も今日で悪夢を見た。
俺は前世でそんなに悪いことをしたのか。うぅ…。
特に仲はよくない、年賀状を出す程度の知り合いと「私はあなたのことが別に好きでも嫌いでもないんです。それは前からそうで、ずっとそうなんです。これからも、そうです」と淡々と言われるのだけれど、俺はどこかで「この人には嫌われたくない」と思っているから、笑顔で「そうですか」と聞きながら深く傷つくという夢だった。
せめて夢の中でくらい素敵な夢をみていたい。処理が煩わしいが夢精せんばかりの淫夢だっていい。むしろ夢精したいくらいだ。ドント来い夢精。ドントカム悪夢。
「その程度で悪夢?」
俺にとっては悪夢だ。人ひとり一人一人幸せの味が違うように悪夢の味もまた違う。乳酸菌一つとったって、人には人のものがあるというし。
悪夢なんか見たくない。なぜに“睡眠”というもっともシンプルな休息に、“夢”というかなりファンタジーな時間に、“悪”を持ってくるのだろうか。
もちろん、ファンタジーと悪のくっつきがいいのは知っている。悪い魔法使いとそれを成敗するいい魔法使いがいるから、ファンタジーは成立する。悪役がいない魔法の国の物語はきっとみんなが脳内お花畑で、お菓子とかお菓子とかお菓子のことを考えては昼から寝ている。
「ここは魔法使いの国。この国の人々は今日も一日寝ています。昼も、夜も、夢の中でも寝ています。僕ももう寝ます…」
そんなファンタジーが面白いか?面白そうだなぁ。
戦争・差別・ネット炎上…。
リアルがこれだけ“悪”にまみれているのに、夢まで悪にならなくたっていいじゃないか。嘘でもいいから夢の中でくらい“悪”から距離を置きたい。素敵な夢を見たい。
リア充ならぬユメ充になる夢くらい素敵な夢を見させて欲しい。
今日も今日とて俺は眠る。
素敵な夢を見たらその時は『ユメ充夜』として本にしようと思う。嘘だ。

日本今昔今風奇譚「墓守り」

おお、若い人。よく来なさった。
ここは世に数多ある救いになっていない返事の墓場…。
わしゃここの墓守りをしている袴 杜夫(はかま もりお)というものじゃ。関係ない話じゃがな、風間杜夫と同級生じゃ。
実年齢より上に見られることが多いわしが初対面の人に年齢を言うと、必ずこう言われる。
「あーそうなんだ。でもほら、いいじゃん。年齢が追いついていくから!」
そうすると、また一つこの場に墓が増える。関係ない話じゃが、風間杜夫とは1回飲み屋ですれ違ったことがあるでな。
さぁ、御覧なさい。
この墓場で眠っている言葉の数々を・・・。
「でも、冬場暖かそうだよね!」
「ほら、逆にシャンプー代とかかからないでしょ!」
「悪い男に捕まらないからいいじゃん!」
上から某デブ、某ハゲ、某ブスが立てた墓に刻まれている言葉じゃな。全然関係ないじゃが、昨日は肉じゃがを食べた。
イーッヒッヒ!
気分を出すために「イーッヒッヒ!」って言ってみたものの、シラフで言うにはいささか恥ずかしいのう…。
さて、何の話だったかな。…あ、そうじゃ。最近、この墓を荒らす奴がおりましてな。
夜な夜な現れては墓を掘り起こして、そして街で言葉をばら撒いているそうなのじゃ。わしゃ毎晩この墓場で監視しているがな、9時には家に帰って寝るからな。どうやらその隙をついているみたいなんじゃ。
…なに?「墓を守れ?」
おまいさん方は簡単に言うけれども、風間杜夫と同級生のわしにゃあ、無理はできん。いい加減疲れることはしたくない。
後継もいなくてなぁ。倅がいるにはいたんじゃがなぁ…。例の飢饉がきっかけで…。
…なに?いや、生きている。生きてはいるんじゃが「DJになる」と家を飛び出してのぉ。どこでかのぅ…。どこで「飢饉」と「DJ」が繋がったのか…。
「誰も知らない名盤を俺は見つけたいんだ」と言い残して、出て行ってしまったわい。そういう意味では倅も名盤を掘り起こしているのかもなぁ。
…イーッヒッヒ!
今のは、おまいさん方が笑ってくれないからな。とりあえず自分で笑っておいた。防衛本能じゃ。
どうして急にこの袴杜夫のところにおまいさん方が集められたかって?実はなぁ、おまいさん方の中に墓荒らしがいるんじゃないかと思っていてなぁ。
お前かぁ?「インスタ映えは、しそうだよね」って言っているのは?
なんだ「は」って。
それともお前かぁ?「なくはないかな」って言うのは?
どこ目線でモノ語っとんのじゃぁ?
ほらぁ、若い人。見てごらんなさい。おまいさん方の足元に空いた大きな穴を。
…イーッヒッヒ!

以上が2X世紀の日本で実際に起こった「若者穴埋め」事件のあらましです。多くのフォローになっていないフォローをする若者が無差別に袴杜夫の犠牲になった。そう、言われています。
SNSの影響で「フォローする」「フォローされる」という言葉が一般になった時代に起こったこの悲劇を、とある研究者は「フォローという言葉が一般的になりすぎたあまりに、言葉そのものの意味がなくなってしまった。それ故に生まれた悲劇なのでは?」と推測しております。
みなさまも適当なフォローには十分お気をつけください。
でなければ、袴杜夫の亡霊が貴方を穴に埋めに来るかもしれません…。来ないかもしれません…。

かくかく

宮城県の混浴温泉に行った時、ちょっと年増の男女が入ってきた。男の人の方が少し年上のThe・ワケありカップルで、それに輪をかけて混浴である。きっとただのプレイだったんだと思う。
「さぁ、お前の恥ずかしいカラダを皆様に観てもらいなさい」「…はい」
二人はそういう会話をしていた、と思う。少なくとも心の中であったと思う。理解はできるが納得は出来ないプレイだ。結局あの二人はただの変態だったんだと思う。
それはともかく、4月に一緒に芝居をやった鄭亜美さんが出ている舞台を観に行って、なんだかすごくソワソワ観てしまった。一度がっつり何か作った人が、違う人とがっつり作った何かに出ている時、なんだかソワソワしてしまう。
混浴のソワソワと似たソレだろうか。多分違うソワソワだ。観たのはマチネだったし。
それも、ともかく。
その舞台の客席に、毎回音響をお願いしている久村さんが偶然いたので、終演後飲みに行く。7年近い付き合いで、二人で食事をするのは2回目だ。
久村さんは俺と同じ慶應の落研部員で冷奴(ひややっこ)という名前で活躍していた。今でも俺は「奴さん」と踊りのタイトルみたいな名前で呼んでいる。
俺が入部して間もない頃、「創作落語の会」というのを久村さんが企画し出演者を募集していた。生意気にも俺が立候補したら「いいよ〜」と二つ返事だった。俺だったら、入部したばかりのやつと一緒に何かやろうと思わないけれど、そういうラディカルなところがある人だ。
その時、俺が作った創作落語は途中で高座から降りてダンスを踊るという場面があった。それはもう潔くスベった。久村さんは袖でケラケラ笑っていた。いや、笑っていなかったのかな。昔のことだ。笑っていたことにしよう。こうやって過去は改竄されていく。
その公演が終わってしばらく経ったころ、何故か男二人で中華街まで行き、中華粥を食べた。「中華粥って熱くて味気ない割には腹持ちが悪いなぁ」って思ったのを覚えている。その店の問題だったのかもしれない。
その「創作落語会」があった年の春、久村さんは落研を辞めた。
それからしばらく経って、俺が舞台をやることになり、音響と制作、のようなものをお願いしたら「いいよ〜」と二つ返事で引き受けてくれた。以来、ずっと俺の舞台では何かしらやってもらっている。
そんな久村さんに「小田切はもっと書いた方がいいよ」と言われた。
書かずとも人生は進んで行く。
俺がここで書けることを書いているのは、半ば「どうせ誰からも期待はされていないけど、、、」という諦めがある。もう半分は「性分ってのは、、、ねぇ?」という諦めだ。諦めは一緒だが成分が微妙に違う、そういうネガティブなバファリンが俺を動かす。
奴さんは俺が書くものを見たいと言ってくれた。日頃マメに連絡を取り合う仲ではない。会うのはお互いにやりたいことがあるときだけ。ハードボイルドだ。
俺には友達がいない。欲しいとも思わない。それはきっと仲間がいるからなんだと思う。
そういえば、むかし中華粥を食べたのも今の季節だった。知り合って7年、二人で食事をするのは2回目。俺らの食事はオリンピックなのか?
人生にはそういう小さな偶然みたいなものがある。もしかしたら、夏じゃなかったのかもしれない。昔のことだ。良いように覚えておこう。

夏の夜の夢

随分と前からあるにはあるけど、我々はウェルカム便座以後の世界を生きている。
ウェルカム便座とは、トイレに入ったら勝手に便座が上がる便座のことだ。昔「玄関開けたら2分でご飯」というキャッチがあったが、まさしく「扉を開けたらウェルカム便座」だ。何が「まさしく」?我ながら全くわからないが、そういうことだ。
自動で便座が上がる必要があるのか?
自分で上げればいいんじゃないのか?
端的に言えば、必要ないんじゃないだろうか?
そういうアンウェルカム・ウェルカム便座派(略称:UWB)もこの世の中にはいる。どちらかと言えば私もその一員である。
扉を開けて便座がゆっくり上がる時、桂文枝の「いらっしゃ〜い」がごときスピードで、しかし鋭く「プチャヘンザ!俺は便座!カモンカモン!俺の善意〜♪肛門肛門(コモンコモン)!君の便意〜」と便を煽ってくるあの感じ。いわゆるひとつの「ウェルカム便座の煽り便」だ。なにが「いわゆるひとつ」?俺に聞かないで欲しい。俺も脅迫されて書かされているのだから。
UWBとしてはウェルカム便座不要論を唱えるのだけれど、たまに出くわすとテンションが上がってしまうのは否めない。この世の中にどれだけ自分の排泄の心待ちにしてくれている存在がいようか。稀有だ。スカトロマニアだって、もう少し控えめに催促してくるだろう。ウェルカム便座は完全に食い気味で「待ってました!」とその首(こうべ)をあげてくる。
いっそ便座に睨みでも、きかせてみせよか蝉時雨。
娘が誘拐されているんだ。彼の言う通りに書かないと娘の命がないんだ。
俺が書きたくてこういうことを書いているわけではないことを分かって欲しい。
それはともかく、決してウェルカム便座に興味・関心・価値・その他を見出せていないのだけれど、例えば、2日連続で飲みに行って、異なる店でウェルカム便座にエンカウントした翌日、出会えなかったりすると、何か、心に穴があいた、というか、「なんだよ。ここウェルカムじゃねぇのかよ」と思ってしまう。和式なんかに出くわした日には怒りのあまり店に火をつけるかもしれない。
ウェルカム便座は麻薬なのか?
一度手をつけたら最後、「人間やめますか?便座やめますか?」まで選択を迫られてしまうものなのか?なんだ「便座やめますか?」って始めてもないぞこっちは。
や、待ってくれ。妻に手を出すのは勘弁してくれ。今度二人目が生まれるんだ。一人の命じゃないんだ。頼む…っ!分かった。書く。最後まで書く。
ここに今から記すことは全て真実だと思って欲しい。実は今、未来から来たという人物が私の後ろにいて、彼の住む未来ではありとあらゆる人種・宗教・差別を超えて世界がひとつになった。しかし、そこからUWBとWWB(ウェルカム・ウェルカム便座)派の対立が始まり、ついには戦争になった。
未来から来た彼は言う。
「なんでそんなどうでもいいことで?これだけの人が死ぬ?」
俺もそう思う。
彼は未来から我々に警鐘を鳴らすためにやって来たと言う。
「我々は、あなたたちもまた、ウェルカム便座以後の世界を生きている。今は小さな言い争いかもしれない。居酒屋での与太話くらいにしかならないだろう。もっとも食事の場ではしない会話かもしれない。それでも、その与太話がいつしか戦争の火種になる。だから、一つ約束をして欲しい。あなたがUWBでもWWBでも。言い争いになった時、必ずこの言葉を思い出して欲しい」
…待て。これを俺に書けというのか?分かった。書けば家族は解放されるんだな。
「あなたがUWBでもWWBでも。言い争いになった時、必ずこの言葉を思い出して欲しい。『水に流したらどうだい?便器だけに』」

…はっ!夢か〜!

パタリト

学生時代からお世話になっていた喫茶店がある。
そこのマスターは初めて会った時からもうおじいちゃんだった。それはもう完成したおじいちゃんだった。
「初老?」という疑問すら浮かばないくらい、腰を据えた、ガンジス川が如き「老」だった。その割には腰の折り曲がり方は凄まじいものがあり、晩年のガンジーに似ていた。ガンジーの「老い」に極めて近い老人だったので、ガンジーの甥だったのかもしれない。
初めて会った時から7年が経った。
7年。人の見てくれは相当変わる。学ランでにきび面の15歳中三男子はリクルートスーツで七三気味の22歳就活生になる。
おじいちゃんは概ねおじいちゃんのままだ。マスターも最初に会ったおじいちゃんのままだった。シワが2ミリくらい深くなったり、生え際が3センチくらい後退したりしたのかもしれないが、そんな後期高齢者の微妙な経年劣化は目で見えなかった。
だから、いつまでも続くと思っていた。
目で見えるものでさえ見えないのに、見えないものが見えるはずもなく、いつのまにやら見えない部分の経年劣化は進んでいたらしく、ある日ー。
パタリッ!
店が閉まった。マスターは倒れた。
その日まで、騙し騙しマスターは店を切り盛りしていた。俺も「まぁ、なんとなく次も空いているだろう」と騙し騙し通っていた。もはや誰が誰を騙しているのか、騙されているのか。騙しの卵とじ状態がしばらく続いて、誰もが何となく先延ばしにしていたら、ベタにある日パタリッ!
学生時代は授業をサボりによく行っていて、社会人になってからは純粋にサボりに行っていた。外回りだと嘘ついて、夏の暑い日などは昼間からマスターと少しアルコールの入った麦のジュースを軽く飲んで、日によっては軽く深酒してから会社に戻って怒られたりすることなどもあった。…まぁ、当たり前だ。
どういうわけか、どんなに忙しい日でも俺が入店すると人が「パタリッ!」と来なくなるというジンクスがあり、「お前が来ると客がこなくなるからなぁ」と晩老に笑いながらよく言われた。
一度実験がてら、午後の早い時間にお店に行ったら、閉店まで誰も来ず、マスターが「今日はもう閉めるかぁ」と言った頃には俺が入ってから7時間くらい経っていたこともある。午前中はそこそこ繁盛していたらしいので、食いに困ったら俺は「店潰し屋」を開業するつもりだ。
俺が潰しにかかる必要もなく、店は閉まり、しばらくして、皺も白髪も生えていない腰がまっすぐ立つニュー・マスターが現れ、お店の看板をそのまま背負いリニューアルした。
気がつくと、初めてこの店に入った時から7年が経っていた。この7年で知ったことは、人は「パタリッ!」といなくなるということ。
音は楽しげ。楽しげだけに穴が開く。

某日ー
最近似たようなタイトルが多すぎる。がしかし、似てても売れている。
売れている本を二つ足していい感じにしてみたら、それもまた売れるんじゃないだろうか。『四月は君の膵臓が食べたい』とか。ハンニバル・レクター博士が出てきそうだし、その手のものが好きな人にはいいはずだ。このタイトルだと毎月出せそうだしビジネスチャンスがあるはずだ。
「五月は何が食べたくなるのかな!?脾臓かな?」
「十二月は寒いから…肩甲骨周りかな!?」
シリアルキラーが過ぎる。

某日ー
某松井、というか松井某はそのうち自分が死ぬか相手を殺すかの二択になる気がしてならない。それまでは「面白い面白い」と見ていられるのかもしれないが、いざそうなった時は誰がちゃんと落ち込むだろうか。
人の不幸は面白い。不幸には行き切られると「えぇ〜…」と引いてしまう臨界点みたいなのがあり、何かの拍子で不幸はポンッとその臨界点を越えてきて、気がつくと苦い後味だけばかりが残る。
人、面白がれば穴二つ。悪意をもって面白がれば面白がるほど返す刀の威力も物凄い。クマとかヒアリも人を殺すけれど、そこには殺意があって、どう考えても殺意なき殺人が一番怖い。
にしても、松井某の「SNSバカ一代(いちだい)」っぷりは見事。あれだけマメに掃除する人はSNSの使い方もすごくマメ。
「アラブの春」ならぬ「松井の春」がこれから一体どうなるのか。
ものすごく興味がない。死人が出なければいい。