サラリーマンと定食屋

やっとこさ『ラ・ラ・ランド』を見た。
同じ監督の『セッション』という作品で生徒を怒鳴りちらすハゲ鬼教官役をやっていたJ・K・シモンズがちょい役で出ていて、JK好きとしては、スクリーンに出てくるだけで滾るものがあった。
そんなシモンズが『セッション』で”Not my fucking tempo!”と生徒を怒鳴る場面があるのだが、ぜひ未見の人はそこだけでもいいので見て欲しい。「あぁ、怒りって滑稽なんだな」と思えるので、誰かに怒られた後に見てみるのもいい。
『ラ・ラ・ランド』でもシモンズは出てきており、店のオーナーを演じている。主人公のセバスチャンが店主の意に反する行動をとるのでクビを告げるのだけれど、そのセリフが“fired”の一点張りだった。てっきり、”Not your fucking 店舗!”とか言うもんだと思っていたのに・・・。
ともあれ、『セッション』では最後、夢をひたすらに追いかけた主人公2人が、夢がうつつになった将来で「うつつ足り得なかった」沢山のうつつを夢に見るシーンがある。
昼食でA定食とB定食があったとして、A定食を頼み、目の前でB定食を美味そうに食べている人がいたら、俺はすぐに「うわぁ、正解はあっちだったか……」と思ってしまう何かが小さい人間だ。
中川家の礼二がよくやっているモノマネで「店から出てきて進行方向の逆を一瞬見るサラリーマン」というのがあるけど、一瞬逆を見るのはサラリーマンの「Bやったんかなぁ」という気持ちの表れで、その後すぐに元の道を歩くのは「でもワシAやしなぁ」と自分の選ぶ道をまっすぐ歩まんとする気持ちの表れだと勝手に解釈している。
深読み?俺もそう思う。アレはただの「サラリーマンの習性」だろう。
ただ、日々の昼食にせよ、人生の大きな選択にせよ「選んだからには正解にしようね」という気持ちは自分の中で常に戒めとしてある。結局、何かを選ぶということは何かを捨てるということで、捨てたものに価値があるだなんて思いたくない「失うばかりが人生」だが「失うばかりの人生」ではないはずだ。
日本で『ラ・ラ・ランド」みたいな映画をやるとしたら、舞台は古びた定食屋とかがいいのかもしれない。ライアン・ゴズリングの役柄は客のサラリーマンが、エマ・ストーンの役柄は定食屋のおかみさん(胆石持ち)とかはどうだろうか。誰に提案しているのか自分でもわからない。
ストーリーは以下。
おかみさんの定食屋は「おかみさんが店主になる」という条件のもと、大手外食チェーンのフランチャイズ傘下に入る。メニューは充実しているし、味もよくなったものの、いつも来ていたサラリーマンは「あの、うまくもまずくもない、うまくもまずくもないからこそうまい定食が懐かしいなぁ」と思い激情、そして「これじゃあ俺が知る定食屋ではない。Not my fucking 店舗!」と言って唐突に終わる。
どうですかね?自分でも誰に提案しているかわからないけど。

The 釈迦如来

今の日本の音楽シーンを語るにおいて、3ピースバンド<The 釈迦如来>の存在は欠かすことができないだろう。「平成最後の昭和歌謡ロックバンドオーケストラ」との呼び声の高い彼らがニューアルバムを出すという情報をいち早く手に入れた我々は早速取材を申し込んだ。取材場所として指定されたのは南青山のカラオケ館。
「まさかこんなところに呼び出されるとは?」という思いと「まさかこんなところにカラ館が?」という思いを胸に109号室に向かうと、そこにはすでにメンバーのユウヤ(Dr)、ヨシキ(Dr)、そしてウマヤドノミコト(Dr)がいた。

ー今回のアルバムは全て新曲ということで、リスナーも心待ちにしていると思うんですけど、音源の公開を一切しないそうですね?それには何か理由があるんですか?
ヨシキ「昔俺らが海外のアーティストのCD買う時って、ほんとジャケ買いだったのよ。前情報とか一切ないから。もちろん友達から勧められたりもするんだけれど、それって自分で見つけた感じがしなくて。だから、誰も知らないバンドを見つけてやろうって躍起になってて。偶然見つけたバンドのCDがすげーよかったら、それだけで嬉しかったんだよなぁ。もちろんハズレもあるんだけど(笑)。だから今回はそういうドキドキをね」
ーリスナーにも感じさせたいと。
ヨシキ「いや、そういうわけではないんだけど。それとは別で、まぁ、なんつーの、思いつき?」
ーなんだったんですかさっきの話は。それで、今回ツアーも回られるんですよね?
ユウヤ「そう。北は北千住から南は南千住まで」
ー噺家さんみたいなこと言うんですね。
ヨシキ「でも、俺らと噺家が違うところは60日で230のハコを回るってところだよね」
ー北千住から南千住でそんなにライブハウス回るんですか?
ユウヤ「ライブハウス?違うよスナックだよ」
ーライブというより、営業ですね。
ウマヤド「まぁ、そういう点では噺家と一緒だよね。最後は『葡萄感』というスナックでやります」
ーなるほど。つぶつぶしてそうですね。さて、では今回の収録曲についてお聞かせいただきたいんですけど、まず、一曲目の『たそがれのまち』。この曲はどういう曲なんですか?
ウマヤド「これは実体験に基づいているんだけれど、日曜日に散歩していたらさ、駅前に俵万智がいて、たそがれていたんだよね」
ー歌人の?
ユウヤ「歌人の。歌人で手負いの」
ーほう。
ヨシキ「で、その話を聞いてこれはすぐに曲にしなきゃって思ってスタジオ入って。ほんと、一晩でできたんです」
ーなるほど。「勢いそのままに!」って感じなんですね。
ヨシキ「で、スタジオ出るときにスタジオ代払おうとしたら、誰もお財布にお金入ってなくて。どうしようかって、ね?」
ユウヤ「あと、お腹空いたねって」
ウマヤド「それで、スタジオ代はさておきご飯にしようかってなったんで、僕が近所のコンビニ行ってきて、お金おろして、おでん買って帰ってきたんです」
ーあ、そこで2曲目の「おでんのうた」に繋がるんですね。
ヨシキ「でもこいつ自分のものしか買ってこなかったから、ちょっと喧嘩になって」
ウマヤド「結構派手に暴れたら、追い出されて。でも、そのときにお金払わなくてよかったんですよ。出禁にもなったんですけど」
ユウヤ「そういうお金の貯め方もあるよねっていう、ある意味、貯蓄の歌だよね。これからはアーティストも貯金していくぞみたいな」
ーお金を下ろすときにスタジオ代分も下ろそうとは思わなかったんですか?
ウマヤド「あんまり…お腹空いてたし…」
ユウヤ「空腹は最大のスパイスっていいますし」
ー今いうセリフではないですけど。で、最後の曲がバラードの『MA-CHI-BOW-KE』ですか。
ヨシキ「これは俺らの長年の夢を歌った歌なんだ」
ー夢ですか?
ユウヤ「そう。いつかはバンドマンとしてでっかくなって、俵万智の陰毛を燃やすぞっていう夢」
ーほう。
ウマヤド「でも正しくは『MA-CHI-KE-BOW』(万智、毛、ボゥ)じゃないかって、もめたんです」
ヨシキ「でも、俺ら正確さとか、そういう土俵で戦ってないし、俵という字はタワラとも読めるしってことでコレでいこうと」
ー後半関係ないですね。
ユウヤ「歌人で手負いだし」
ーもっと関係ないですね。本日はありがとうございました。

取材後、カラオケ館の料金を払わされた取材班は各々の家に帰り、妻を強く抱いた。

第一回「『君の瞳に恋してる』コンテスト」

君野:
本日は第一回「『君の瞳に恋してる』コンテスト」にご来場頂きまして誠にありがとうございます。会場は東京キネマ倶楽部よりお送りいたします。先ほど支配人の方に「未だかつてこんなにも客席がガラガラだったことはない。貸したことを後悔している」とお褒めの言葉を頂きました。さて中継生放送のラジオでお聞きの皆様、会場のこの熱気が伝わるでしょうか?そもそも今回のコンテストをラジオでお楽しみの皆様は気が触れているのでしょうか?
ご紹介が遅れましたワタクシ、司会の君野仁美と申します。今日ほどこの名前に生まれたことを後悔した日はございません。
さて、早速ではございますが、エントリーナンバー1「Boys Town Gang」の登場です。曲はもちろん『君の瞳に恋してる』。
それでは張り切ってどうぞ!

君野:
踊らせたいのか、笑わせたいのか。
そんな不思議な『君の瞳に恋してる』でしたね。
では早速、審査員長の今治フランキーさんよりコメントをいただきましょう。

今治:
お疲れ様でした。最初から最後まで極めて洗練されていない感じがなんとも味わいがあったと思います。
左右のお二人が”タウン・ギャング”の”ボーイズ”なんでしょうか?
にしてはなんだか才能のないフレディー・マーキュリーというか、モテないゲイみたいにヒョロッとしていたのが笑わせたいのか困らせたいのか。なんとも不思議な時間でした。全体的に動きのパターンが少ないのに何か理由は?…なるほど、楽をしたかったんですね。
サビ前のイントロからサビにかけての踊りはもはや桂枝雀師匠でいうところ”緊張と緩和”と言っていいでしょう。歌詞のないイントロ部分、ヴォーカルの女性を挟み、中途半端に足を入れたり入れなかったりするところで、「ちゃんと練習してるのか?」とこちらは不安になるわけですが、そこに来てサビで突然やってくる極めて考えられてない、言うなれば「だだっ子ダンス」。上半身を左右に、気持ち早めにバタバタと振るだけ。すごいですね。思わず笑ってしまいました。
そこを小馬鹿にしようとしたカメラマンさんがまた素晴らしい。2番のサビ部分ではヴォーカルの女性に寄って中々タウン・ギャング・ボーイズを見せないでしょう?もうこっちは見たくて仕方ないんですよね。で、カメラの端っこでパタパタした手が見え隠れする。こちらはフレームの外のパタパタを想像する。それがまた笑いを誘います。
これはカメラワークの妙と言っていいでしょうね。もう一度見てみたいです。ちなみに、途中で一回スフィンクスみたいなやつを挟むのはどういう意図があったんですか?…なんとなく、ですか。ありがとうございます。聞いた私がバカでした。

君野:
今治さん、ありがとうございました。
さぁ、次の方々に登場していただきましょう。エントリーナンバー2「Boys Town Gang」。曲はもちろん『君の瞳に恋してる』。
張り切ってどうぞ!

君野:
さぁ、また趣向の異なる『君の瞳に恋してる』でしたが、今治さん。
いかがでしたでしょうか?講評をお願いします。

今治:
お疲れ様でした。
非常に表情豊かな『君の瞳に恋してる』だったと思います。先ほどのチームとは違い、全体像が見渡せるいい『君の瞳に恋してる』だったと思います。
さっきのスフィンクスみたいなやつはスフィンクスだったんですね。しかも2対。よく見ると後ろはどこかパルテノン神殿の柱を彷彿とさせる。古代文明をダンスミュージックで消化したいのでしょうか?無理だと思います。
2番の冒頭にある小芝居が見渡せる演出は◎。タウン・ギャング・ボーイズが全く演技が出来ていない点も高評価ですね。よく見るとそれぞれが表情を作っているんですが、作りきれていない感じに練習量のなさを感じます。

君野:
今治さん、ありがとうございました。
では最後のチームに出場して頂きましょう。
エントリーナンバー3、もちろん「Boys Town Gang」。曲ももちろん『君の瞳に恋してる』。
やれるもんならやってみろ!

君野:
自分は、知らず知らずのうちに覚せい剤をやったのか。
思わずそう思ってしまう『君の瞳に恋してる』でしたね。では、今治さん。講評をお願いいたします。

今治:
え〜お疲れ様でした。
タウン・ギャング・ボーイズがマイクを持っているのに気がついた時から、もう僕は笑っていましたね。
「サビはパタパタするのか?」
その期待一つで見続けるわけですが、まさかコーラスになるとは…。しかし、これボイスは入っていないですよね。となるとおもちゃのマイクを持たされているのか?なんのために?パタパタ防止?
それでもパタパタする。パタパタせずにはいられない。そんな二人に釘付けに…なるかと思えば、背面のよくわからないCGには時々大きな目が現れてひどく不安を煽るわけです。間違っていたら大変恐縮なのですが、何かフリーメーソンと関係があるのでしょうか?

君野:
ありがとうございました。
さぁ、以上3組のパフォーマンスが終了しました。それでは、もう一度ステージに登場して頂きましょう。皆様、盛大な拍手でお迎え下さい!
…では、今治さん。優勝チームの発表をお願いします。

今治:
はい。優勝は・・・『Boys Town Gang』の皆さんです!

君野:
『Boys Town Gang』のみなさん!
おめでとうございます!
というわけで、優勝は『Boys Town Gang』のみなさんでした。
次回は、第八五回「『ジンギスカン』コンテスト」でお会いしましょう〜。

前途は多難でちと洋々

「報酬1000万円を用意できましたので、今すぐお会いしませんか?」
このところ1000万円をポンと出せる朝倉という女性からお誘いのメールが来る。
次のメールで「報酬に関してはお会いしてから小切手という形でも大丈夫ですよ?」と余裕を見せながらも、また次のメールでは「難しい条件は一切ございません。一晩アナタの体を貸して欲しいのです」と急に性欲を丸出しにしてくる。朝倉、いささか情緒不安定である。
そういう迷惑メールが連日昼夜問わず、一時間ごとに来るので大変煩わしいのだが、土日はピタリと来なくなる。どうやら迷惑メールの分際できっちり週休2日らしい。
「お前の迷惑のかけたさ、そんなもんかよ!土日にも迷惑かけてこそじゃねぇのかよ!」
胸ぐらを掴んでそう言ってやりたい。「土日は休みだろうから…」と、気を遣ってくれているとしたら、それは皆目見当違いで、そう思うくらいなら、はなっから送ってくれるなという話だ。
朝倉からメールの来ない土日。正直に言おう。もはや俺は寂しさを感じている。
もちろん、土日に来たらそれはそれでイラっとするが、 逆に土日に一通でも来たら「完全週休二日制なのに…わざわざ私のために?」と俺は体を許してしまう気がする。1000万円の報酬とやらもいよいよ魅力的だ。
いち迷惑メールをとってもそうなのだが、とかくこの世はままならぬ。
来て欲しいものは来ないし、来て欲しくないものは来る。望んでもいない「ままならぬママ」になる人もいればママなれずままならぬ人もいる。
世界はそうやって回っているのに「自分も他人もままあるべき」信者は世にゴマンといて、そういう人たちの励ましというのは自分が善だと思いこんでいる分輪をかけてタチが悪い。よっぽど偽善の方が懐に入って来ることもあるというのに。
「世の中ままならないなぁ!」
「ですよねぇ!」
それくらいの温度でいい。
「世の中ままならないなぁ!」
「え、大丈夫?無理に明るく振る舞わなくていいんだよ?飲みに行く?」
行かねぇよ!首締めるぞ!
二年ほど温めていた企画が通り、それはそれで嬉しいのだが、ままならないことが相当多く非常にナーバスだ。自分で炊いた真似、もとい蒔いた種なので仕方なし。ままならずとも色々と何とかしてきた俺じゃないか。今回もきっと何とかなるだろう。
「きっとままならないぞ!」
そういう後ろ向きなんだか前向きなんだか分からない気持ち一つの日々だが、そこにも救いはあるはずだ。前途は多難。ちと洋々。
朝倉に返信がてらそういう話をしようかと思うのだけど、迷惑メールに迷惑がられそうで実行はしていない。

寺井の絶望

某日ー
東京と大阪、時々京都を行ったり来たりしている。
気持ちは完全に売れっ子吉本芸人だ。
最初のうちは「わぁ、新幹線だ新幹線だぁ」とはしゃぐことも出来たけど、週1の頻度で乗ると、もはや新幹線に対して「わぁ、古女房だ古女房……だぁ……」くらいにしか思わない。
好きじゃなくなってからが愛であるように、はしゃぐこともなくなってからが俺と新幹線も本当の関係に近づけるはずだ。無論、目的が仕事の移動というのも極めて俺のナーバスにさせる要因でもある。しかし、それは吉本の芸人もそうで、なんばグランド花月での舞台終わり、テレ朝の収録に向かう東京行きの新幹線の中で、吉本の芸人は何を考えているのだろうか。次のネタとか、ウェブマガジンの連載の内容とか、あとは現地妻、ないしは妻のこと等だろうか。
どれにせよ何となく絶望と距離の近い、絶望界隈のことだと思う。「明日は乞食」という思いが売れっ子の移動を支える。
俺は清水富美加の引退を大阪へ向かう新幹線の中で知り、「ああ、この人も絶望したのか」と思った。どんなに笑っても心の奥が笑ってない感じが好きだったのだけれど、色々聞くと「さもありなん」という感じだ。
今日は大阪へ向かう新幹線の中で隣のサラリーマンがずっと風俗の情報を見ていた。写メ日記を入念に見ていて、「他人の目」という恥を「失敗したくなさ」が軽々超える眼。旅先で、しかも風俗で、絶望なんかしたくない。その主張を全面に出すというのは逆に清々しい気持ちさえする。
希望を持つということは恥を捨てるということなのかもしれない。そもそも希望を持つこと自体、少し下品。
今日も新幹線は絶望を乗せて走っている。よく分からないがそういうことだ。

某日ー
初対面の人と朝まで飲みに連れて行ってもらい、なんなら全て奢ってもらい、しまいにゃタクシーで家まで送ってもらう。これはすごいことだ。もらいすぎじゃないのか。なかなか並みの大人にはできない芸当だろう。
奢ることに衒いがない人は奢られることに衒いがないし、奢られることに衒いがない人は奢ることに衒いがない。常々そう思っている俺でも「少し衒えば?そして雨に歌えば?」と思ってしまうほどだった。
不思議なことにそういう人に限って、名前が寺井だったりする。
その人はもちろん違かったが。そこまでうまい話があってもいいのに。

毎日がエブリディ

……みたいな言葉だけで会話が続かないだろうか。
「お嬢様、コチラみずみずしい水です」
「あら爺や。ありがとう。ちょうどもちもちとした餅を買ったところだったの」
「何がちょうどなのか全く分かりません。お嬢様の適当な返しには、さすがの私も呆れるほどに呆れてしまいます」
「そう。爺やには通じないのね。残念なことに残念だわ」
「そう気を落とさないでください。最近お嬢様に元気がないのは、海外出張をなさっている旦那様に会いたく会いたくて会いたからではないかと、爺やは心配しているのです」
「別に、おとうさまのことなんて……。顔を見ないからせいぜいするほどせいぜいしているわよ」
「確かに、思春期のお嬢さまの前で、全裸になって『俺の見てくれを見てくれ』とおっしゃるのは私も如何かと思いますが」
「同情するなら同情してくれてもいいわ」
「そうでした。今日はお嬢様に特別な贈り物を贈ります」
「え…絵?しかも普通の?冗談は冗談だけにしてよ」
「囲っている囲いをご覧になってください」
「何かしらの……何かしら?」
「ガクガクの額です」
「……そういうのもアリなの?」
「アリ寄りのアリです」
「ナシ寄りのナシよりいくらかマシかもね。いくらか会話が楽になりそうだわ。爺や、たまにはいいこと思いつくじゃない」
「伊達に苗字が伊達ではないので」
「ご褒美に褒美をとらせるわ。何がいい?」
「でしたら、この重々しい重しを外して頂けないでしょうか?」
「いいけど……。代わりに辛酸を舐めるほど辛酸を舐めてもらうけど?」
「難しい難題ですね」
「人生と同じ。それが人生」
「お嬢様、悟りを悟りましたね」
「成長を見てきただけに、泣けに泣けるでしょ?」
「驚くべきことに驚きました」
「本当にあった実話として本にでもしようかしら」
「嘘みたいな本当のフィクションより、売れるベストセラーになることでしょうね」
「さ、決定は決まった?」
「死ぬ気で死ぬよりは辛酸を舐めつくすまで辛酸を舐めつくした方が」
「偉い!男らしい男性!でも、その前に一つ約束を誓って」
「はて?」
「明日もこの似たような言葉を繰り返し繰り返す遊びに付き合って。爺や、この遊びにすごく上手な手練れなんだもの」
「いいですよ。まったく……本当にトートロジー好きなお嬢様に、トートロ爺はお手上げです」
「「あははははは」」と笑う二人。

今日の結果:続く。(※但し、無理はある)

始発という名の列車

最近仕事で新幹線に、しかも“朝6時・東京駅発”みたいなふざけた新幹線に乗ることが多い。いや、新幹線自体はふざけていない。極めて真面目だ。車掌だって至極真面目だ。不真面目な車掌は人が真面目に話している最中に「最近ベッキー出てきたよね」などと話を脱線させることだろう。話だけならまだいいが、新幹線そのものも脱線させるに違いない。始発っぽい新幹線に乗って死にたくなんてない。
始発っぽい新幹線に乗るには「完全なる始発、なんなら終電?」な在来線に乗る必要がある。夜みたいな朝を走る電車の中で「移動ってこんなに暴力的だったっけ?」と思わずにはいられない。
驚くべきことにこの世界には始発めいた電車を普段使いしている人がいる。大抵「ご飯食べたら歯を磨きますけど?何か?」みたいな顔で完全なる始発に乗っている。
罪人なのか。前世に茶目っ気一つで村ひとつ焼いたりしたのか。冗談で犬の肛門を縫って排泄出来ないようにしたのか。どんなに重たい罪を犯したら今世で始発地獄に落ちるのか。
いや、前世でも普通だったのだ。普通の足軽とかで、今世でも普通のサラリーマンで、世のため人のために働いているのだろう。朝早く働く人の仕事がまた別の人の仕事を支えているのだ。尊い。労働。あぁ。
……などという発想には全っっっっっく至らず、「こいつら変態なんじゃないの」と半ば投げやりな気持ちで始発人(しはつんちゅ)を見ている。
そして、今日も確固たる始発の新幹線に乗った。始発新幹線にも「一日中革靴履いたら靴下が臭いですけど?それが何か?不満ですか?」みたいな顔をした人が、その時間の新幹線に乗っていることが日常以上でも日常以下でもない日常である、という気配を出していてビビる。
なぜ、みんなそんなに朝が早いの?今日だけなの?いつもなの?休みの日は何をして過ごすの?口笛はなぜ遠くまで聞こえるの?へぇ、そうなの。
それはともかく。
夜の新幹線は出張帰りの方々が駅を出たか出ないかの絶妙なタイミングでプシュっと缶ビールを開けるのだけれど、始発しい新幹線では流石にそんな猛者はいない。中には「今日の仕事はこの始発新幹線に乗ってお〜わり!」という人もいるだろう。それはそれでどんな人なのかよく分からないが、多くの乗客は「今日長ぇ日だな」というナーバスな気持ちと戦っている。
俺も多分にもれず、今日もそんな心持ちで東京駅から東海道新幹線で乗った。隣に30代にも60代にも見える女性が座った。
東京駅を出て品川駅に着いた頃、彼女は目の前のテーブルを下げてカバンをガソゴソ。朝ごはんかしらと観察していたら、カバンからタッパーいっぱいのヨーグルトを取り出し、一心不乱に食べ始めた。
ホラーだった。しかも、風邪を引いているのか知らないが、ものすごく咳き込む。咳こんじゃあ、ヨーグルト。咳き込んじゃあ、ヨーグルト。
普段から朝食がヨーグルトなのだろうか?だとしたら、イメージだが、風邪は引かない体のはずだ。それとも風邪予防のヨーグルトだろうか?それはそれで、もう手遅れじゃないか。旅先でそのタッパーは邪魔にならないのだろうか?謎だ。どこまでも。まったく理解出来ない。
もしかして、ふざけているのか?
ふざけた新幹線に乗るために、全力でふざけているのかもしれない。新幹線のふざけに見合うために自分も「これでもか!」とふざける。そうすれば耳がキーンとしなくなるのだろう。んなわけない。
多分、ものすごく真面目な人なのだ。真面目故、日頃の「朝食はヨーグルト」という不文律を守っているのだろう。始発始発した新幹線の中でさえ。
新幹線も車掌も乗客も皆真面目である。朝6時からこれを書いている俺も。

おばあちゃんの口車

おばあちゃんの口車 6年3組 作 文太郎

僕のおばあちゃんとてもおじいちゃんに似ています。
それは僕の祖母が配偶者に見た目が酷似しているということではなく、世間一般でいう「おじいちゃん」のイメージに近しいというということです。おじいちゃんはおばあちゃんに、おばあちゃんはおじいちゃんに。老いるとは呪いです。
おばあちゃんは呪いをかけることが上手です。たいていのおばあちゃんはそういうイメージがありますが、僕のおばあちゃんの呪いは難しい言葉で“口車”というそうです。
一年生の夏休みの時に、親戚の文左衛門おじさんの家に遊びに行きました。文左衛門おじちゃんは野菜を作っている農家さんです。川で遊んだあと、昼ごはんにみんなでバーベキューをしました。
「トイレに行く」
そういっておばあちゃんがしばらく帰ってきませんでした。帰ってきた時には大きなスイカを手に持ってきました。
「そのスイカどうしたの?」
と、僕が聞くとおばあちゃんは言いました。
「落ちてた」
そんなバカな……と思ったので、「え、どこに?」と聞きました。
「ちょっと行った、スイカ畑」
「それは……」
「落ちてた」
そのまま一緒にみんながバーベキューをやっているところに戻ると、文左衛門おじさんが、「そのスイカどうしたの?」と聞きました。
「落ちてた」
「そうか。そうなら、そうなんだろうな」
文左衛門おじさんがそういうなら、そうなんだろうなと僕も思いました。思うことにしました。これが口車か、と思いました。
違う日に「具合が悪い。どこかが悪いのかもしれない。病院に行く」とおばあちゃんが言ったので、おとうさんは心配そうにお金をあげていました。おばあちゃんが出て行った後、おとうさんが心配になったので、病院の方に急いで行きました。僕も一緒についていきました。追いついたので、「おばーちゃーん」と声をかけようとすると、道の途中にあったパチンコ屋におばあちゃんは入っていきました。
走っていたおとうさんは止まって、肩で息をしながら一言。
「ババァ、はかったな!」と言いました。
お父さんの言葉の意味はよく分からなかったけど、これも口車か、と思いました。
それからしばらくして、おばあちゃんは本当に病院に行って、しばらくしたら帰ってくるかと思ったら、しばらくしても帰ってこなくて。
いなくなってしまう前に「死んだら化けて出てあげるよ」とおばあちゃんは言いました。
僕はお化けを信じていないです。怖いからです。
でも、おばあちゃんの口車にのっておこうと思います。

少々背負う

こだまさんという作家が書いた『夫のちんぽが入らない』という本が近年稀に見るめちょめちょ名著で最近会う人会う人に勧めている。これが『夫が健保に入らない』とか『妻にちんぽが生えてきた』とか『虎穴に入らずんば、ちんぽ得ず』だったらそんなには勧めないだろう。とにかくタイトルがいい。『逃げるは恥だが役に立つ』同様に口に出して気持ちがいい。声に出して言いたい日本語だ。声に出して言いにくい日本語でもある。
あらすじはタイトル通りの夫婦以上ちんぽ未満みたいな夫婦生活の話で、そういうジャンルがあるとすれば、これはまさに「ちんぽディストピア小説」だろう。んなジャンルないが。
業を少々背負(しょ)う人は背負った業が業物になる。
そういうことはままあって、昔あるおかまバーのママがコップを洗いつつ自分のカミングアウト話をしてくれたことがある。ママは自分が男性好きということを家族に言い出せなかったが、ある日、姉と洗い物をしている時に思い切って自分がゲイだということをカミングアウトした。
「そしたら、ネェちゃんがね、『あぁ!ゲイだったの。てっきりバイだと思って心配してたのよ〜。でも、安心して。私もキャバクラで働いてるってみんなに言ってるけど、本当はSMの女王なの〜あはは〜内緒よ〜』って言ったのよ〜あはは〜。姉弟して業が深いよね〜」
洗い物をしている時にたまに思い出す。よく知らないオカマの素敵な話。
それはともかく、こだまさんの話だが、この人とだったら幸せになれるだろうなぁ……と思い、結婚して、ちんぽが入らないという業を背負ってしまう不幸。
そもそもそれは不幸なのか?
俺はあまり幸せをちんぽありきで考えたことがない。何かいいことがあった時に「あぁ、こーれは、ちんぽ超えたわ」とか「これ20ちんぽはカタイな……」と下品な彦摩呂みたいなことを言ったこともない。そもそもちんぽを物差しにするのがナンセンスというものだろう。あれだけ伸びたり縮んだりするのに。
俺は学生時代いわゆる“浮いた”やつで、社会に出たら“浮く”こともないだろうと思っていたが、社会の縮図である学校で素人のシュノーケリングばりに浮きまくっていた人間が社会で急に重力に負けるわけもなく。
「こちとら小中高大社と浮いてんねや!カバチタレ!」
カバチタレの意味はよくわからないけれど、そういう居直りはある。軽い絶望を抱えてぷかぷかと浮きながら、底の珊瑚に憧れて、憂き憂きしつつ、ウキウキしている。そういう業を背負ったとて、そこには何かしらのきっと輝きがあるから。
そういう希望を与えてくれるめちょめちょ名著の『夫のちんぽが入らない』はある意味「ちんぽユートピア小説」なのかもしれない。
そんなジャンルはないが。あってもいい。

弔辞

我が親愛なるMacBookへ。
6歳は死ぬには少し早すぎる。もう君は帰って来ないのですね。
晩年は「音楽をかけて」とお願いすると、スピーカーから流れてくる歌は「アイハブ………………アぺ…………ン………アイハ…………ブ………ア……………ア……………ッ…………ポーアッー…………アァ………ン……アポーぺ……………ン」と歌詞を思い出し思い出し歌っているのか、はたまた裏で何かスケベなことされているのかと思うくらいに途切れ途切れでしたね。
DVDを見ようとしたら、頼んでもいないのにコマ送りにしてくれることもありました。冒頭の5分を見るのに20分かかった時には「どんな映画はコマ送りにするとつまらなくなるね」とお互いに笑いあったね。いや、笑っていたのは僕だけだったのかもしれません。君は無生物ですし。
ご弔問の皆さん。別れは突然でした。
スイッチを入れて「ジャーン」と立ち上げ音が鳴ったと思ったら、「グス~ン」と聞いたこともない音を出して事切れたのが彼の最後でした。試しに皆さんもかがんだ状態から、「ジャーン」と大きく伸びをしてみてください。そして、そこから「グス~ン」とかがみ直してみてください。
なんだかバカになった気がするでしょう?
人生でつまずいた時、立ち上がることは大切だけど、前に進めない時はそこで一回「グス~ン」となればいい。それでもダメなら、その時は潔くなかったことにすればいい。
君が最後に伝えたかったことは、そういうことなんですね。大切なことは世の中にたくさんあるけど、大切だけが値打ちじゃない。
しかし、何故、言ってくれなかったのか。
「バックアップは取らなくていいの?」
その一言があれば、消えないデータも多くあっただろうに。恨んでいるわけじゃないけれど、本音を言えば、少し恨んでいます。
思えば君と多くのものを書きました。世に出たものも、出なかったものも。トラウマになるほどスベったコント、箸にも棒にもかからなかった企画書、誰かの何かに残った(と思いたい)台本とか。
ユーミンで言うところの、アナタは私の青春そのものでした。好きなバンドの解散が青春の終わりらしいですが、好きなバンドも解散し、色々なことが高校生の頃よりもキラキラしなくなってしまった後でも、どこかで君と一緒に青春を続けられたことがとても嬉しい。
君は本当に色々なことを教えてくれました。特に、グーグルで検索したら何でも教えてくれました。お疲れ様でした。
余談ですが、君がなくなって軽く凹んだ後、すぐにヨドバシカメラで新しいパソコンを買いました。それで最初に作る文章が君への弔辞というのも何だか不思議な気持ちです。