わたくしごと

腰をいわしている。
関西圏の人は「あぁ、いわしてんな。気ぃつけや」で済むのだけれど、これが東京の人だと「腰を…鰯?てなんて?鰯テイル?鰯の尻尾?」とか「鰯手モーター?」と存在しない車のメーカーを連想する。
いわす、というのは主に西で「怪我した」とか「痛めた」という意味なのだけれど、絶賛腰を鰯尻尾。
さる帰り道、雨後の階段で滑って尻餅をついてしまった。その瞬間は「あーなんか電気走ったな」くらいに思ったのだが、気がつけば電気はどうしようもないくらいの痛みに変わっていて、全ての仕事を投げ出し、私は久々に自宅のベッドの上で一日を過ごした。
初めのうちは仕事のことだなんやを色々と考えていたが、ベッドの力というのはすごい。徐々に悟りの境地に至った。考えてみたら座禅というのは、正座、もしくは、足を組み、背筋を伸ばし、気を抜いたら長い木の棒でピシーっとされる。つまりは半ば拷問なわけで、拷問の涯が悟りの境地であるわけもなく、「なんでこんなことせなアカンねん」「これも修行なのです」「アホ言え」と明確な殺意なる残滓が生まれ、悟りとは程遠くなる。もちろん、若干の殺意があるくらいが人らしい気はするものだけれど、人間でなくなることが悟りであるとすれば、ヨガで言う所のシャバーサナ・死者のポーズ、平たく言えばただ横になる、このこと以上に悟りに近づくことはない。
病める時ほど、幾分生に近づく。生に近づくことは自分に近づくことだ。
「社畜感が増した」
4月にそんなことを言われた、自他共に認めるワーカーホリックの私である。仕事が好きとかそういう前向きな理由ではなく、単純に自分が空っぽだからであって、その空っぽさを埋めるために仕事をしている。
よくプライベートと仕事を分ける人がいる。しかし、公私。そんなきっぱりと分けられるものだろうか。プライベート。言い換えると私事(わたくしごと)で言葉の中に(しごと)が入っている。よって、私事をプライベートと仕事をきっぱり分けたら、(わたく)と(しごと)になってしまい、これはさすがの関西人でも「なんやねん!わたく、て!綿食ぅ?綿食ぅ仕事?どないやねん!やってられんわ!腰いわしてまうわ!」となる。ならない。なってもならなくてもどっちでもいい。つまりは、公私なんぞ分けても仕方ない。
仕方がないなら、欲張って両方ともでみちみちていたい。
だから、私は私を埋める分だけ仕事したいと思うし、それと同じくらい綿食ぅていたいと思う。仕事をたくさんした先に何があるのか?それは誰にもわからないが、たくさん綿食ぅた先には仙人になれる気がする。綿食ぅうちに霞食ぅようになるかもしれへんからね。

ですって。

知人の同人誌に原稿を書くことになった。依頼主の彼は定期的に文フリで本を出しているらしく、毎号テーマを設けて色々な人から寄稿してもらっているとのこと。初回は<癖>、次に<家>、そして今回は<手紙>。何事にも先達はあらまほしきことなりてなもんで、その同人誌の第一号、つまりは<癖>の話を書いたまた別の知人に話を聞いた。
「原稿依頼貰って、書くには書いたんですけど、本になるまで何に載るか全く聞かされてなかったんですよね」
載る先分からぬ原稿出すは、さも似たりかな行き先不明の電車に乗るに。気が付いたら「え?択捉?」みたいなこと場合もある。もちろん、択捉島まで電車が走っていればの話だけれど。
載る先がゴリゴリの共産主義礼賛本「月刊 ひとりでもレーニン」みたいな本だったら仮に中身が癖でも家でも手紙でも、何一つも共産主義的な思想が見えない文章であるとも、その本の中にあるという事実はその原稿を共産主義的であるとする。穏やかな時代なら「知らず知らずのうちに赤になっちゃってさ~」と笑い話になるかもだけれど、もし共産主義者が100人いようと1000人いようとレーニンにされる赤狩りの時代が来たら。そこに原稿があったという事実ひとつで。
日付以外は全て誤報で有名な東スポに唯一真実を書く男がいた。木を隠すなら森、実を隠すなら虚。だから東スポには誰も知らないだけで、日付の他にもう一つ真実が紛れ込んでいる。桃にシナモンをかけると旨い、とか、でもシナモンが苦手な人は無理してかけなくていい、とか。男の各記事は東スポらしからぬ記事であった。
書いても書いても男の記事は本当であることが気づかれなかった。ある日、男は「自分がもしも嘘を書いたらどうなるんだ?」と思い浮かぶ。男が初めて一面記事を担当する時、とんでもない嘘を書いた。
「戦争終結 世界平和達成」
人々はまた東スポが嘘を、とあきれ果て、中には「何を政治的なことを!火星人、西荻窪に毒マングースを放つ!…みたいな記事だけ書いていればいいんだ!」と声を荒げる人さえいた。しかし、不思議なことにその日から世界中の紛争、戦争、嫁姑問題、もりかけ問題が極めていい方向に片付いていった。中には「落ち着くところに落ち着くね~」と何か言っているようで何も言ってない人もいた。
男は東スポに真実を書いていたわけではない。男が書いた記事が真実になるだけだった。とんでもない一面記事を書いた男は上司にこっぴどく叱られて、以来男は女子大生に初体験だ性感帯だを聞くコーナーを死ぬまで書き続けた。つまり、その手の記事は全て真実である。
ですって。世のお父さまがた。よかったですね。

今週のアジェンダ

所謂ビジネス用語みたいなものを多用する人はやはりどこか馬鹿に見える。
アジェンダ。とりわけ、この言葉の間抜けさ加減たるや。試しに目を見開いて下あご出し気味に大きく口を開き、鼻の穴を大きくしながら言ってみて欲しい。アジェンダ、と。もちろん、ここまで顔を作れば「排他的経済水域」とか言ってもそこそこ間抜けに見える。
言葉の響きもあるが、アジェンダはだっふんだ、くらい間抜けに聞こえる。
リスケ。これまた聞くたび「殺してやろうか」と思う言葉の一つだ。なぜ、「別日で」と言わないのか。これこそ一度口に出して言って欲しい。まず別日の「べ」も「び」も両唇音である。初めに赤ん坊が話す言葉が「パパ」「ママ」に代表されるように両唇音である<p,m,b>などは唇を合わせた状態から息を吐くだけで発音できる極めて発音に易しい音である。別日。そう口にする時、意識は赤ちゃん返りして、あの幸せだった、寝ているだけでいろんな人が世話してくれ、そして、無条件にかわいがってくれたあの日に戻る。あぁ、別日。なんて素敵な言葉なんだろう。リスケなんかに取って代わられていい言葉では決してない。
百歩譲って「リスケジューリング」と言ってくれればまだ許せる。言葉に対する誠意がある。にもかかわらず、「リスケで」とくる。断言する。リスケという言葉を多用する日本人の6割くらいはスケジュールを正しい綴りで書くことが出来ない。なんなら「再び」の意味をあらわす接頭辞のをと書く可能性だってある。仮に正しく書けたとて、そもそも、我々はLとRもまともに発音分けできない人種であるからして、正しく「リスケ」と発音できないリスクを常に背負っている。
そういう人は実際に外国人と仕事のやり取りをするときになんて言うのだろうか。「アイワナ~リスケ!」とか平気な顔で言って、向こうに「パードゥン?」とか聞き返されればいいのだ。いや、言うんだろうな「俺の英語ってイギリス英語だから。伝わらなかったのかなぁ」とか。
なるほどですね。これはもう英語でも何でもないけど、親の教育を疑うレベルで人格を否定したくなる。そもそも「なるほど」は目上に限らず、外の人に対して使うには若干ためらう言葉であるはずだ。分かりやすくするために「うんこ」と言っているとしよう。
「この企画、ここが革新的なんですよ」「うんこですね」
この企画を上回る革新的な返事である。でも、「なるほどですね」は「うんこですね」に匹敵するほど本来はためらう言葉のはずだ。千歩譲って、「なるほど」単体で使う分なら許せる。むしろ、ちょっと「お、コイツ、この話の肝、分かってんじゃん。分かって感心して、若干フランクになってんじゃん。こにく~」とこちらもなりやしょうよ。「ですね」でもいい。その若干フランクな敬意と肯定。嫌いじゃない。
しかし「なるほどですね」はもうほんと敬意もなければ言葉として美しくない。そんな雑な返事をするくらいなら、好きなお寿司のネタでも言って欲しい。
「こここうやると楽だよ」「ねぎとろ」…とか。
こうやって雑な略語や美しくない言葉を多用する人をどうも私は好きになれないのです。
え?さっきの「こにく~」って何なのかって?「小憎たらしい」の略語ですけど?何か?

届かぬ手紙

浅草は田原町に店主お手製の手紙を売っているお店がある。
手作りの料理を手料理というのであれば、言わば手手紙屋さんだ。すべて和柄のデザインがされていて、あるものは着物のような、あるものは屏風のような…といくつか型はあるが、和紙で装飾がされた手紙は全て店主さんの手手紙で、いずれの手手紙もこの世に2つとないシロモノなのである。
「手」は2つあるけど2つとない手手紙に手書きで文字を書くと手手手紙となり、文字通り大変手のかかった手紙になる。これを郵便配達員が手で集荷し、近場の郵便局が手で仕分けして、さらにそれをまた別の配達員が手で投函して、実際に届け主の手元に届く。いわゆる一つの手紙とて手手手手紙くらいになることはザラであり、999人の手が加わっていたら手手手手手…(中略)…手紙、つまりは千手手紙と大変ありがたいものになりあがる。
え?千手手紙は999人じゃ一人足りないんじゃないかって?一人足りない分、頭の「手」の字から「一」を抜いて「千」手手紙になるのです。
そもそも一人の人が手をかけて書いた一枚の紙は、仮にそれが手をかけずに書けたものであっても、人が手がけた手紙となり、「隣にいたいな」という一手手紙も千手手紙と同じくらい大変ありがたい。
いつのころから年賀状を書かなくなった。昔は年賀状を「人間関係仕分け紙」と呼び、今年も付き合いたい人には送り、そうではない人には送らないことを明言していた。
しかし、当たり前だが年賀状は書かなくなると来ず、来なくなると書かずの悪循環で。
近年来るのはだいたい2通ほど。今年の初め、年賀状をくれた後輩に「毎年くださるなんて律儀ですね」とLINEで返事をしたら「お前が昔、年賀状で人を仕分けてたからだよ!」と逆上された。我不義理極まれり。南無三。
話を冒頭の店に戻す。人に手紙を書く時、多くはそこの手手紙屋で買う。
この日も友人の結婚祝い用に手紙を選んでいた。今の季節だったらこんなのかな、あの人のイメージだとこの色かな、など考えながら選ぶ手紙は手紙とはいえ贈り物。相手の顔を浮かべながらアレやコレやと考えるけれど、往々にしてそれは自分が思う相手の理想像、理想のリアクションであって、実像がそれを喜ぶかどうかはまた別の話である。
そう考えると贈り物は「喜ぶだろう」と思う傲り者でないと出来ない。
そんなことを考えながら手紙をひとつ選びレジに持っていく。簡単な会計を済ませると店長さんが私にチョコレートの袋をひとつ。コンビニでは売ってない、デパ地下なんかで買うちょっといいチョコレート。私が目を丸くしていると、ひとこと。
「たまにはいいでしょう」
贈り物を贈るその一つ前の贈り物を選ぶ人々を普段から見ている人はこうも自然に贈り物を渡せるものなのか。傲りのない贈り物はなかなかに気持ちがいい。

「の」の「的」的

中国のお菓子で名前にひらがなの「の」が入っていると、高級感があってよく売れるのだそう。例えば「兎糞」というチョコボールみたいなお菓子があったとして、「兎的糞」のような名前にするよりは「兎の糞」にした方が売れる。そのネーミング自体はさておき、この「の」というのが極めて日本の商品のように見え、きっと日本の商品ということはちゃんとした高級なのだろうという発想らしい。じゃあ、その「の」どこから来たのよ、というと、やれ『鬼滅の刃』だ『進撃の巨人』だ『巨人の星』だ『ワンのピース』だ『おののののか』だ、日本の漫画文化から来ているとのこと。まぁ、『巨人の星』はそこまでメジャーじゃないだろうけど。
「やれやれこれだからアノ国は…」と思う事勿れ。カフェ・ド・クリエ(CAFÉ de CRIÉ)とか、カフェ・ド・クリエ自体に高級感はないのに、「ド」が何となく高級感を醸し出している。だいたい、CRIÉは(泣く、叫ぶ)という意味であり、無理やりに日本語に戻すなら「叫び茶屋」とか「大号泣喫茶」? 鼓膜が破れんばかりに「いらっしゃいませー!」「ありがとうございましたー!」と大声で叫ぶ店員さんや、兵庫の野々村さんみたいにギャンギャン泣いているお客さんばかりの店で、ゆっくりコーヒーを飲みながら読書が出来るか。出来ない。行きたくないとは言わないが。
しかし、我々はなんとなくフランス語の「ド」とか「デ」に謎の高級感を覚える。仮に「いきなり!ステーキ」が「イキナーリ・デ・ステーキ」となったら、よく分からないがロバート・デ・二―ロくらい重厚な感じが出ないと入れないんじゃないかとすら思うだろう。「デアッテ・ゴッビョー・デ・ソクソ・ニュー」とか、もうほんと一生に一度だけ遊びに行けたらいいお店だろう。
この間、人と話していて確かにそういうことはあるよなと思わず納得した話。
「『レ・ミゼラブル』の<レ>って<よっ!>って意味だと思っていました」
「掛け声的なことば?」「的な」
その解釈であると、『よっ!不幸者!』とか『よっ!悲劇!』という「頑張るじゃん。ジャン・バルジャン」みたいな煽り100%のタイトルになる。感動出来るか。出来ない。見たくないとは言わないが。
<レ>は冠詞なのでキャラが違うが、「の」にせよ「ド」にせよ「デ」にせよ「的」的なことばである。そういう言葉はあまり深いことを考えずとも輸入しやすいというのは言葉の面白いところだな、と思う今日この頃でした。特に考察もないので、何か的を得た意見があればお聞かせください。お送り先はコチラまで→●●●

あちゃーを探して三千里

Twitterできしょい男からのLINEや痛い大学生のインスタやTinderで来た痛いDMなど、とにかく「あちゃー」なメッセージを拾い集めては拡散しているアカウントが散在している。多くは男性が女性に対して「やらせてくれよ」と言い、断られたら「死ねよ」と言うやり取りで、これらのアカウントではその多くが相手の名前を隠し、純粋にその痛いやりとりのスクリーンショットだけがネットの世界にばら撒かれている。そういった画像はいわば被害者の方々が各アカウントに提供したネタである。痛ければ痛いほど「痛いね~」と皆が「いいね」している。
提供者の人たちはあえて相手の、つまりきしょい側の送り主の名前を隠してあげている。その「あげている」気持ちを持ちつつネットにあげている方々の、そのギリギリの善意は一体なんなのだろうか。そのギリギリ善、略してギ善の元生まれたツイートを見て喜んでいるのはネットの悪意ある人々である。私とか。
これが例えば某園氏、ここまで言えばもう「オン」か「オフ」の2択に絞られるが、某園氏が誰かに送ったとなるとファイアーオン。着火し、そして、炎上する。一方で、知名度オフの人々がとんでもないメッセージを送ったところで、さらされることはあれど、叩かれないのは相手に名前がないからなのだろうか。霊媒師でない限りお化けと喧嘩が出来ない。実体がないものに物理的な攻撃は効かない。
名前が分からないからと叩かないほどネットの悪意や善意は軟弱だったっけか。
もう少しネットってちゃんと悪意がなかったか?名前も知らないヤツの住所を意地でも特定しようとしていなかったか?もしくはもっと妄信的な善意を振りかざさなかったか?「ポテトサラダをスーパーで買った」というツイートに「それくらい家で作れ」「手料理が食べれない家族がかわいそう」と言わなかったか?我々は顔も見えない人に平気でそういう人種だったはずである。
痛い系のツイートにわざわざ「こういう人は死んじゃえばいいのに」とリプライを飛ばす人のアカウント見てみると、その後には「戦争反対」とか平気で呟いているのである。正義よ。ぶれるな。そう思う反面、そのふり幅こそ確かに人間の証明であるけれど、そのふり幅を隠すのもまた人間だと思う。
一周回って「たたく」ことに叩くことに飽きちゃって、もはや人を叩き過ぎて逆パンチドランカー、つまりは-カンラドチンパになったのか。そういう意味では「たたく」より「たたかれる」方が実はいくらかクールな気もする。
つまり今回私が何を言いたいかというと、過去に女性に送ったきしょい男の痛いLINEがネットの世界の白日にいつかさらされるのではないかと、戦々恐々としている。

たぶん23才

よく人に呆れられる。多くは酒が絡んでいる。
「あなたという人は一体、いくつなんですか?」
「犬でいうところの5歳です。あ、でもこれは大型犬での換算であって、中型犬でいえば4歳弱とかかな。あ、小型犬での話してます?小型犬で言えば」
「してません!」
こういう発想は新たなアンガーマネージメントになりうるかもしれない。
だって5歳の犬だもの。仕事のメールに添付ファイルをつけ忘れることもあるだろう。遅刻した?あぁ、散歩の途中で何か気になっちゃったのね。あ~こらこら、もう、そんなところでおしっこしちゃダメでしょ。
もっとも、これは5歳の犬だから、というか、犬だから許される話であって、メールの添付漏れくらいならまだしも三十歳の男性のそんなところでおしっこ漏れは警察を呼ばれかねない。
「いま通報があってね。お兄さん、どうしたのこんな往来で。お兄さんいくつ?」
「犬でいうところの5歳です。あ、でもこれは…」
「犬の話はしていません!」
「くぅううん…」
春はどうも変な人が増える。この春には新成人も増えた。
今の人は昔の人と比べてマイナス10歳分、精神年齢が低いらしい。つまり、齢三十にして、昔の人でいうハタチのものの考え、言動、もしかしたら人生経験、それらと同等ならまだいいが下手したら下回っている可能性がある。となると、この春に改めて成人になった十八歳の人々は精神年齢的には昔の人でいう小2、掛け算覚え初めである。小2の私が急に責任だなんだと言われたとて「セキニンが…ハチ?」と人間でいう8歳の子犬のように首をかしげると思う。
年を取ればとるほどに責任なんぞ取りたくない。ジキニンはその場しのぎ的に体調が良くなるクスリだが、責任は確実に体調が悪くなる。年をとっても浮気は止まぬ、止まぬはずだよ中村芝翫が何か責任をとったか?いや、見えないところでとっているのかもしれないが、だからとて、新たな浮気をしていいわけでない。
「なんだ、責任って免罪符みたいなもんか。ジキニンと一緒でその場がしのげればいいのね」
人間でいうところの三十歳の私が人間でいうところの十八歳の新成人にそう聞かれたら「割とそうだよ」と言う。包み隠さない。それが私の中での大人の作法である。かく言う私も昔でいうところでハタチを過ぎて、ようやっと大人の仲間入りをした。
戦国時代は人間五十年。我々はそこから寿命がグッと延びてその気になれば百年生きることが出来るわけだが、それはもしかしたら人生が希釈されているだけじゃないか、という気もする。人間が一生のウチで思いつくものの考え、言動、人生経験は限られていて、五十年かければ手に入ったものを我々は百年かけて手に入れる。そうなると、私は今、戦国時代の人で言うところのいくつなのだろう。
そして、それは小型犬でいういくつなのだろう。

夜の「う」

富士吉田市の名物に吉田のうどんというのがある。このうどんの売りは「日本一硬いうどん」であることだ。コシがある、とかではない。とにかく硬いのが売りなのである。
この売り言葉に「買い!」と思う人がいるのだろうか。「日本一うまいうどん」と大きく出ても、それはそれでその心意気良し。食べてみようか。そう思うだろう。
しかし、とにかく硬いと言われて、それが価値だと言われても、食べ物としての勝ち負けを忘れていないか、と思ってしまう。世界一硬いグミ、とか、世界一臭い缶詰、とか、味の土俵から降りている、食料品がこの世にあるが、それでいいのか。
そこで、この謎を究明すべく、人に例えて考えてみることにした。
結婚している女性に「旦那さんどんな人なんですか?」と聞いて、「とにかく硬いんです。日本一硬いんです」と返されたら、聞いてもいないのに、いや、聞いたんだけど、急に夫婦生活の話を返されたと戸惑う。「え、日本一硬いってのは、絶対比較?相対比較?つまりそういう大会に出たってこと?どこでそんな大会をやってるの?旦那のパーソナリティとかマジでどうでもいいから、そっちが気になるんだけど」と掘り下げたくなるだろう。
人間の例えにも分かる様に、つまり、吉田のうどんは夜のうどんなのだ。同じく富士の山に近い浜名湖のあたりには「うなぎパイ」なるものがある。これは夜のお菓子と言われている。どこか富士山には夜の「う」のイメージがあるのかもしれない。
というわけで、真相を解明すべく吉田のうどんを食べに行った。果たしてどこまでエロい食べ物なのかを知るために。うどん屋とは名ばかりの違法風俗店の可能性だってある。店名は伏せるが、私が入った店の吉田のうどん屋は地元の人も通い、また県内外からもお客さんが来る有名店であった。
「温・冷・つけ」の三種類が選べる。硬さを、とにかく硬さを味わうべく、私はつけを選んだ。目の前に「う」の皿とつけ汁がおかれる。まずは、オンリー麺吸いで麺本来の味を楽しむ。この吉田の「う」は麺が異様に長い。硬い云々はさておき長い。とにかく吸わなければならない。これがファーストエロスである。とにかく、吸う、の、だ。太くて硬いそれを一本吸う。口いっぱいに含んでから、ゆっくりと噛む。くにゅくにゅとした官能的な表面の触感に隠れているが、その奥にはとても硬い芯がある。その芯を奥歯でゆっくりと噛む。私はうどんを食べているのか、はたまた、エロチシズムという概念を食べているのか分からなくなる。そのエロい「う」を今度はつけ汁に。汁まみれになる「う」を口に含む。どれだけエロくなれるのだこの「う」は。汁を以て我唯足るを知る。
麺を吸い、汁を吸い、気が付いた時には完食をしていた。富士吉田の「う」はうまいの「う」であった。

春に生まれた男の唄

春に生まれたから春男。それが私の祖父の名だ。春男は春に死んだ。自殺だった。
見事にフリオチがきいた人生である。
名し負わば、てなことを言うが、気性は夏。星一徹ばりの昭和ゴリゴリ男で気に入らないことがあるとちゃぶ台返しをしたと聞く。見た目は冬。雪男を彷彿させる180センチをこえる巨体を持ち、頭は禿頭で、とにかく飯を食う。酒いいちこ、タバコはマイルドセブン、どちらともめちゃくちゃ飲んだ。イメージ的には夏男、ないしは冬男なのだけれど、少なくとも孫の前では底抜けに陽気な人で、一緒にいてとにかくゲラゲラ笑った記憶がある。春男の春の部分を見せてくれていたのかもしれない。
仕事はトラック野郎であった。盆と正月に帰省して会う以外にも仕事柄あちこち行く人だったので、我々一家が住んでいる土地の近くに来れば寄って娘家族に会いに来る。会いに来る前に母に連絡はあったそうだが、大体が当日、よくて前日だったので、マメといえばマメな人だったのかもしれないが、雑といえば雑な人だったのだろう。
ある年の秋、私にとっての祖母、つまりは春男にとっての妻が亡くなった。
当たり前だが葬式でいつもの陽気さはなかった。火葬場の焼き場のひとつ手前にある前室のようなところで、一人一人が棺の中に思い出の品や花を入れる。棺の蓋が閉まり、四隅が釘で打たれ、顔の前の観音扉が閉められる。係の方が「では、これにて焼き場へ向かいます。これがお顔を見る最後の機会となります。皆様よろしいでしょうか」と告げる。誰も何も言わない。日本人独特のサイレント同意である。もっとも、この場で声を出して同意できる人もいない、か。
「では…」と係員の方が言ったその時、春男は「ちょっといいですか」と止めた。おもむろに観音開きを開けて、手を合わせて一言。ありがとう。そう言って、自分の手で観音開きを閉じた。
男やもめに蛆がわき、みるみる元気もなくなった。葬式から数年後、帰省をしたら、5Lサイズの焼酎のペットボトルに水を入れて灰皿代わりに使っていた。マイルドセブンの吸い殻と茶色の水で満ちたペットボトルが昭和なダイニングテーブルの上に置かれていたのを覚えている。それからまたしばらくして、春男は自ら命を絶った。
そんな春男が先日夢に出てきた。
母に話すと「お彼岸だから会いにきたのかしらねぇ」とどこ吹く風で。私は祖父のいい面ばかりを見てきたけれど、考えてみたらちゃぶ台返しを食らっている母からすれば、若干、いや、かなり、愛憎入り乱れた存在であるのかもしれない。
自殺した人のタマシイはどこに行くのだろう。きっと天国にも地獄にも行けない。行くアテもなくフラフラとこの世を彷徨っている。常にそう思っていた。
しかし、ご丁寧にお彼岸に夢の中に現れたということは、少なくともあの世には行けたのだろう。
なんだか私はその夢に救われたのである。

雨と季節と

午前5時。雨の匂いで目が覚める。不用心にも窓を開けて寝ていた。
雨音はない。雨が降る前の雨の匂いなのか、雨が降った後の雨の匂いなのか。そのどちらか定かではない。ただ、雨の匂いだけは確かにそこにあって、まだ夢の続きのようだけれど、夢じゃないことははっきりしている。季節の変わり目の朝。
意識があるかないかよりも意識的であるかないか。
今から11年と3日前の3月11日に東日本大震災が起こった。常にそのことを意識して生きているか、というと全くそんなことはない。意識的でないか、それもまた全くである。
小学1年生から3年生になるまでのあいだ、父の仕事の都合で仙台に住んでいた。社宅の近所にお寺があって、節分になるとそのお寺で豆まき大会があり、お堂の中で住職さんや近所の大人たちが豆だお菓子だを投げたものを子供たちが一心不乱に拾った。小袋に入った豆などではなく、まんまのむき出しの豆と、そして子供のビタミン不足を気にしてか蜜柑などを投げる大人。子供たちは上ばかり見て落ちたモノには興味がない。会の終わり、お堂の畳一面中踏みつぶされ粉々の豆、破裂した袋から出たうまい棒…の粉、ガツンと蜜柑…の染み。今冷静になって考えると、その土地に伝わる節分に畳をダメにする奇祭だったのかもしれない。別に畳を張り替えるわけでもないので、翌年またお寺に足を運ぶと、畳には去年の、もしくはもっと前の蜜柑の染みがあったのを覚えている。ちなみに、会の終わりに私はまだ踏みつぶされきっていない、半壊~ほぼ全壊の蜜柑を拾い食いしていたのだからその意地汚さたるや…。
震災の翌年。春から社会人になる大学の先輩に連れられて、被災地にボランティアへ行った。半壊~ほぼ全壊の家が並ぶ石巻に港町に朝の8時集まり、他のスタッフとかつて家と呼ばれる建物があった場所で溜まった泥をスコップで拾い上げる。泥の中に私物のようなものがあったら、それは泥のバケツとは別のバケツに逃がす。家の基礎は残っているので、間取りや部屋の大きさが分かった。やたらと写真立てが出てくるこの部屋は仏間だったのかもしれない。
そこに住んでいる人がいた。人が住んでいた家があった。そのシンプルな事実をシンプルに受け止めた。
石巻から市内に戻る道中、先輩にわがままを言って昔住んでいた社宅のあたりまで車を飛ばしてもらった。社宅はまだそこにあった。そのことにはしゃぐ私を全く縁もゆかりも気持ちもない先輩は氷点下以下の目で私を見ていた。そこに住んでいた家があった。そのシンプルな事実もまたシンプルに受け止めた。
季節もシンプルに変わっていく。こちらに気を遣うこともなく。