感じのいい話

とある休日。久々に外に出かけたらその帰りに電車が止まった。
通勤通学時に電車が止まることも地味にストレスだが、休日に電車が止まるのもそれはそれで当たり前だがストレスで、しかも久々のお出かけで電車が止まると「そんなに普段悪いことばかりしていたかなぁ…」と泣きたい気持ちになる。
そんな泣きたい気持ちを抱えたまま、その悲しみを肴に一人で飲んでいたら、翌日そこで食べた何かが大当たりし、まんまと食あたりになる。
俺が何をしたというのだ。清く正しくイヤらしく生きてきた俺が。
そんなこんなで会社を休んで昼間から寝ていたら、不思議と昔の夢ばかり見た。大体具合の悪い時に見る夢は昔の夢で、そして大体死んでしまった人達が夢の中に出てくる。
病める時は死に近くからなのか、それか俺が本当に死ぬ一歩間際だからそういう夢ばかりみるのか。とはいえ、食あたりだからなぁ。食あたりとてバカにはできないけど、それで死んだらバカだと思われてしまう。ただ、俺は死ぬならバカな死因で死んでこそだと思う。
「あの人、なんで死んだんだっけ?」
「早口言葉」
「え?」
「早口言葉。言おうと思ったら、舌噛み切って」
「んふふふ…」
きっと葬式も笑っていいだか泣いていいんだかよくわからない複雑な空気になるんだと思う。変な死に方したくせに、遺影がやけに爽やかなもんだから、焼香をプッと吹いてしまう人もいるだろう。
葬式といえば高校生の頃、クラスメイトの女の子のお父様が亡くなった。親類の葬式以外の葬式に出るのは初めてで、言っちゃあなんだが「あぁ、人の葬式ってのはこういうものか」くらいにしか思わなかった。
家に帰り、「人は死ぬなぁ」と思いながら寝ていた。ベタだけど丑三つ時に、ふと目が覚めてどこかで嗅いだことのある匂い。
「あぁ、今日の葬式で嗅いだお線香の匂いだ」
時間があったから行ったような不届き者のクラスメイトだったけれど、わざわざお父上はお礼を言いに来てくれたのかぁ…と合掌すると、その匂いがスーッと消えた。少し温かい気持ちになったが、さすがに怖かったので、その日は朝までテレビをつけて寝た。律儀な人は死んでも律儀。
ただ、もしあの晩の人が違う人の幽霊だったら、それはただの怖い話になるけど、今でもなんとなく思い出す亡くなった人の話。
亡くなってからも感じのいい人になりたい。
そんな感じのいい思いを持つ自称感じのいい人の俺が、たまの休日に食べた肴で食あたりになるってんだから、この世には神も仏もいないと思う。マジで。

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真と贋

<最近のこと その1>
楽天.png
楽天から“「楽天」を装った不審なメールにご注意ください。”というメールが来た。
非常にややこしい話だ。「楽天」を装ったメールに注意しなくてはならないのに、その送り主が「楽天」…。
意味は分かる。楽天を装ったメールが最近出回っているから、「これはいかん!」と楽天が動いた結果、このメールが来ているのだろうけれど、如何せん、その送り主が楽天なので、何を信じていいのかが全くわからない。
これか。疑心暗鬼というものは。もう少し本物の楽天から来たという確証が欲しい。
“「楽天」を装った不審なメールにご注意ください−本物の楽天より”
不思議だ。“本物の”がついた瞬間に本物感が減った。むしろ、嘘臭さが増えた。
気づかぬうちに現代のラビュリンスに迷い込んでしまったのか。
察するに、本物の楽天が送ってくれているのだろうけれど、いっそ第三者・楽天ならざるものが“「楽天」を装った不審なメールにご注意ください”と教えてくれたらよかったのにと思う。

<最近のこと その2>
駅で外国人に間違えられた。
その日、交通系ICカードを持っておらず、大手町以上新宿未満の乗り換えがややこしい駅で「ええっと…」と路線図を見上げていたら「メっ、メー・アイ・ヘルプ・ユゥ…?」と自信なさげに声をかけてきた。
「ド、ドユワナ・ゴー?」
この善意に負けた。この青年の「外国の人が切符を買えずに困っている。助けなきゃ」そういう善意に負けて、北千住在住の俺は外国人のフリをした。
「Ah…Kita-senju?」
「オッ、オオー!キタセンジュ?」
彼は日本人の俺のために路線図を見ながら小声で「え〜っとアソコで乗り換えて、地下鉄に乗れば…いや、そのままJRでも行けるのか…」と自分の中のナビタイムとお話しながら、ピピピっと券売機のモニターをいじって、あとはお金を入れればチケットが出てくる状態にしてくれた。
「マニー、ヒアー」
知ってる。知ってるけど、今は知らない。なぜなら今、俺は外国人だからだ。たどたどしく、一万円と千円を出しながら「(どっち?どっちを出せばいい?)」という顔する。彼は笑顔で千円札を指差す。お金入れる。お釣りとチケット出る。本物の善意に負けて偽物の外国人にならざるを得なかった俺は笑顔で言う。
「Thank you」
「アハハ。ユア・ウェルカム」
そうして俺は改札を通り、彼と別れた。
予定していた電車を一本乗り過ごした。

<昔のこと その1>
坂本冬美のモノマネをする「坂本冬休み」さんという人と昔一緒にゼネコンの営業に行ったことがある。
あの芸は紛うことなき本物だった。モノマネというある種ニセモノになるという芸の本物の人だった。

<そして今、思うこと>
本物と偽物の境はあやふや。
「本物は本物、偽物は偽物」とパキッと割れるほどお行儀は良くない。そして、お行儀がいいことにあまり価値はなくて、偽物も偽物で意外とそこに実があったりする。

徒然報告批判

何を隠そうデジタルネイティブである。
小学校にパソコン室があり、「未来の宮崎勤予備校」みたいな2ちゃんねるは『電車男』の登場でなんだかクリーンなイメージになり、「(笑い)」が「(笑)」から「w」になった頃、「はじめまして」の人との別れ際は「メアド交換しよう」から「マイミク申請しておくから」へ。「w」が「草」になった頃、「ツイッターフォローしておくね」から「ライン教えて」になった。
だから、デジタルネイティブであると同時にSNSネイティブでもあるのだけれど、ネイティブでも理解に苦しむことはある。海外旅行の報告だ。

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○月×日から□日まで一週間スペインに海外旅行へ行ってきます!
電話・キャリアメールは通じませんが、LINE・Facebook・Twitterでは連絡とれると思うので、何かあれば連絡ください!
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知らん。お前の旅行なぞ知らん。
自慢?お前の旅行の遠回しの自慢?
いや、ほんと、俺の性格が悪すぎるのかもしれない。ほんと純粋に周りに「この期間はクイックに返事を返せないから、注意してね!」的な。
的な?そんなアナウンスいるのか。そもそもどこへ向かってのアナウンスなのか。
例えば、会社勤め・バイトをしている人であれば、事前に勤め先に話は通してあるはずだ。よっぽど嫌なことがあって、急にすべてを投げ出して「人生リセットじゃい!」とスペインに行く場合を除いて、急に黙って海外逃亡するというのは滅多にない。
となると、勤め先の人間に向けてのアナウンスではない。
では、友人・知人だろうか。
「飲みに行こうよ」「映画見に行こうよ」
そういう類いの連絡は多いにありえる。が、送って来た相手は単純に暇だったから送ってきただけであり、「ぶっちゃけ他の人でもいいよ」という場合が多い。海外旅行に行っていたからクイックに返信出来なかったにも関わらず、後日説明すると「俺の飲みの誘いを断るとは不届き千万!死ね!」と言ってくるやつはロクなやつではない。大抵は「そうなんだ〜お土産ある〜?」くらいで終わる。
であるからして、友人・知人の可能性も低い。
となると、なんだ。神か。神への報告か。
神への報告に「何かあれば連絡ください!」はいささかフランクすぎないか。あと、神って、SNS使って連絡よこしてくるのか。イメージだけど、「(ようもしもし…聞こえますか…私は神です…)」という脳に直接系じゃないのか。
要するにやっぱり自慢か。自慢なのか。まぁ、どうでもいいのだけれど。
しかし、SNSがこんなにも普及する前はどうやって周りに「しばらく連絡とれませんよ〜」連絡をしていたんだろうか。回覧板かなぁ。
そして、これから先はどういう風に連絡の仕方が変わって行くんだろうか。脳に直接系かなぁ。
どうであれ、急に人から連絡が来ることがなければ、天性の間が悪い男、言い換えれば<悪い間男>なので「あそぼうよ!」と来たとて断ることの多い私にはいまいちピンと来ない風潮だ。

カオマンガイの大冒険

ここ数年10月31日はすっかりハロウィンになってしまった。
俺の記憶ではハロウィンはもう少しかわいい日だった。
「いたずらか、おかしか〜?」と言われたら、たとえ妾の子供でもおかしを笑顔であげる。そういうかわいらしい、おかしの日だったはずだ。
それが最近は公然とコスプレが出来る日になっていて、俺の知っている限り「公然」という言葉は「公然わいせつ」以外に使わない。いつの間にやらどこか性犯罪の匂いがする日になってしまった。
おかしの日が性犯罪の日に。件のフレーズがもはや「悪戯か、犯しか〜?」にしか聞こえないのは俺だけではないはずだ。「成城石井」が関西弁のおばちゃんの「正常位しぃ!(標準語訳:唐突で大変申し訳ないのですが、正常位をなさってはいかがでしょうか?)」に脳内変換される俺だけではないはずだ。
いや、うん。まぁ、それはそれで。
普段コスプレをする人はわざわざハロウィンにコスプレするのだろうか。これは、普段七草粥を食べている人がわざわざ一月七日に七草粥を食べるのか、という問題に似ている。
普段、七草粥を食べる人が一月七日にたまたまカオマンガイを食べていたら、周りの人は「うわぁ、あの人七草粥食べる日にカオマンガイ食べてるよ」と指を指すのだろう。しかし、日頃七草粥を食べている人は非難してくる人以上に日頃七草粥のことを考えていて、その日はちょっと気持ちがカオマンガイに向いただけの話かもしれない。
もしも、私が七草粥だったら責め立てる人に言うだろう。
「アナタ、よくそんなこと言えるわね!この人はいつも私だけを見つめてくれていて、今日はちょっと一人の時間が欲しかっただけなの。私には分かる。アナタこそ、本当は私のことなんてどうでもいいくせに、今日だけ彼氏面して!恥を知りなさい!」
そして、私がカオマンガイだったらこう言う。
「ฉันรู้ นายปาป้ามีคนที่ฉันชอบมาก ฉันไม่สามารถชนะ ฉันกำลังเล่นอยู่ มันไม่เป็นความจริง(訳:ワタシ、知テル。パパサン、ホントウニ、好キナ人イル。勝テナ〜イヨ。ワタシ、アソビ。ホントウジャナイ)」
要するに、別の世界で生きている人にとって特別な日は、普段からその世界で住んでいる人にとって特別ではないことはある。ハロウィンにしたって、その日にわざわざコスプレする人日付にかこつけているだけである。
もちろんコスプレイヤーが諸手を振ってコスプレできる日でもあるが、中にはエセがいて、そいつらは大体「え、何で今日コスプレしてないんですか?」みたいな目で31日に普通の服装をしている人間を見てくる。
でまた、タチが悪いのはそういうタイプの人は大抵それ以外の日にコスプレをしている人がいたら「え、何で今日コスプレしてるんですか?」という目で見てくる。
もちろん、中には「フラストレーションを弾けさせる日」になっている人もいるはずだ。本当は日頃コスプレをしたいと思っているけれど、周りの目、社会的地位、日本人的な奥ゆかしさ、その他もろもろのせいで出来ない人はこの日を待ち望んでいるかもしれない。
「ありがとうハロウィン。コスプレするぞ。俺は。はばからないぞ」
何ヶ月も前から10月の31日に備え、自身の想像する一番のコスプレをするために東急ハンズなんかに走り、色々と買い揃えるのだろう。そして、ハロウィンが終わると次の10月31日に向けて、日々の生活を送るのかもしれない。
「ハロウィンがあるから頑張ろう」
希望ってのはそういうもんだ。だから、ハンズには希望がある。
希望は人によってカタチが違う。石を投げれば希望に当たるはずだし、その投げようと思った石が珍しい石でどこかの石マニアの希望になるかもしれない。
この国には希望がないと言う人がいるのならば、それはその人の想像力がないだけだ。
タイ料理ブームが来ている俺には、仕事終わりのカオマンガイが希望だ。もちろん、行ってみたら閉店日でひどく絶望することもある。
そういう「希望の裏には絶望がある」みたいなワナもある。ワナこそあれど、絶望があるだけ希望があると思えば、それはそれで救いってもんだろう。

言えない失敗はたくさんあるけど

最近酔っ払うと記憶がなくなるので、飲みすぎないようにしているのだけれども、飲みすぎないように飲めるなら、そんなに楽な話はない。
高校生の時、夏休みの宿題に「裁判傍聴」というのがあり、友達と二人で見に行った。その初めて行った裁判で「裁判傍聴芸人」の阿曽山大噴火を見かけた。エピソード的には「中国に行って偶然野生のパンダを見る」くらい偶然だと思うのだけれど、すごく無駄に運を使った気がして嫌だった。
それはどうでもよくて、被告はコンビニでお酒を万引きした初老の男性で、せこい罪といえばせこい罪、でも罪は罪。だからして、裁判長も裁かなければいけないんだけれど、「こいつのせこい罪をさばいてもなぁ」という感じがビンビンに出ていて、片肘つきながら初老の話を聞いていた。いや、さすがに片肘はついてなかったかもしれないが、裁判長の心が完全に片肘付いていて、人の罪を裁くのに片肘つくのはどうなのかしらと思ったものだった。
片肘が「どうしてお酒を盗んだの?」と聞くと、初老はあまり呂律が回らない感じで「お酒が飲みたかったからです」と言った。
・・・コントか?
いや、コントじゃない。人が何かをするのに「何かをしたかったから」以外の理由はない。
「どうしてお尻を触ったの?」「お尻を触りたかったからです」
「どうして人を殺したの?」「人を殺したかったからです」
真理だなぁ、と思う。
とはいえ、片肘はもっと理由を求めていた。
「お酒をどうしても飲みたかったから盗んだの?」
「お酒をどうしても飲みたかったんです」
「だからお酒を盗んだの?」
「そうです。お酒を飲みたかったから盗みました」
「そう・・・」
片肘は割と早く「もっと」を諦めた。ほとんど禅問答だし。
聞けば盗んだのはウィスキーのボトル1本。コンビニにあるウィスキーだなんてろくなものではないが、そのろくでもないものに罪人にされてしまうのだから、まぁ、人生なんてそんなもんだ。
話は変わって、昨日歌舞伎座で『マハーバーラタ』を観た。これがもう傑作でいたく感動したのだけれど、その感動一つで俺は知らぬ間に歌舞伎好きの後輩にメールを送ったらしい。
いやあ、ゾッとした。
気づかぬうちにメールを打っているのもそうだけど、それより怖いのは文面だ。以下その原文である。
=====================
夜分にごめんなさい。
今日、幕見でマハーバーラタ観たんだけど、
久々に面白いもん見たと感動した!

そ!れ!だ!け!
歌舞伎っていいね
=====================
おれは普段「そ!れ!だ!け!」みたいなポップな文面を送らないのに…。こんな「文字!エクスクラメーションマーク!文字!エクスクラメーションマーク!」みたいな文面を作ったことないのに・・・。
この「そ!れ!だ!け!」のポップなサイコパス感よりもっと怖いのは文頭に一回「夜分にごめんなさい」とエクスキューズしていることだ。おれはもしかしたら笑顔で人を殺すタイプなのかもしれない。
お酒、控えよう。いや、控えめに飲もう。
そう心に決めた秋なのでした。

とりとめな記

某日ー
なんとかという沖縄の橋の上でプロポーズをした男が、相手の女性にOKを貰い、あまりの嬉しさにふざけて欄干を乗り越えたら、そのまま落ちて死んだ。
少し前の話だが、そんな事件があった。
一体、何を恨んだらいいのだろうか。欄干か、成功したプロポーズか、なんとかっていう橋か。死ぬ間際に人生のハイライトが走馬灯で見えるというが、プロポーズ成功の場面は走馬灯に組み込まれたのだろうか。一瞬前の話だけれど、それは走馬灯的にアリだったんだろうか。
結構前の話だけれど、妻が旦那の誕生日に落とし穴を掘って、驚かせようとしたら、二人ともその落とし穴に落っこちて死んだという事件もあった。近くには食べない方のクラッカーを持った友達もいたという。
これも何を恨んだいいのか分からない。誕生日か、落とし穴を掘ろうという茶目っ気か、クラッカーか。沖縄のそれと違って夫婦揃ってだからよかったのか。
自分の茶目っ気と他人の茶目っ気という違いこそあれど、根本的になかなか似ている事件だと時々思う。
人はふざけると死ぬ。ふざけなくても死ぬ。
同じ死ぬならふざけなきゃ損損?

某日ー
NetFlixオリジナルの映画(?)でスティーブン・キング原作の『ジェラルドのゲーム』という作品が新たにリリースされていた。『シャイニング』好きとしては見逃せないので、「キングだキングだぁ」と思いながら見たら、案の定「キングだぁ…キングだぁ…」っていう落ち込ませ方で久々にトラウマを作ってしまった。色々、主に人間の汚い部分を26年で結構見てきたけれど、これだけトラウマになるんだから、小さい子どもにこれを見せたらもうほんとサカキバラみたいになるんじゃないだろうか。
だいたい一人に一つくらいトラウマ映画というのがある。俺はヒッチコックの『鳥』がそれで、あの映画のせいで今でも鳥全般が苦手だ。なんならアルフレッド・ヒッチコックも怖い。コックはなんだか鶏の鳴き声みたいだし、ヒッチもコスタリカの鳥の鳴き声みたいだし、アルフレッドもインコに無理やり覚えさせたらそう鳴くだろうから、もう・・・怖い!
「ぎゃあ!カメオ出演してる!」
ヒッチコックの映画を見ていると必ずそう叫んでしまう。
心のバランスを取ろうと、同じくNetflixオリジナルの『思いやりのススメ』という映画も見る。筋ジストロフィーの男の子と元作家の介護士の物語で、落語に「近日息子」という演目があるが、俺が邦題をつけるなら「筋ジス息子」にしただろうなぁ…って、日本じゃ絶対ダメなタイトルだろうけど。障害のある人はとりあえず泣かせる演出に落とし込みたい謎の文化が日本にはあるし。
全体的にカラッと笑えるいい映画で、見終わった後「あれ、おれなんでこの映画見ようと思ったんだっけ?」と思い返して、『ジェラルドのゲーム』を思い出し、また少し「ヒィ!」となって寝た。
両方ともオリジナル作品というのだからNetflixはすごい。
という、本当に普通の日記。

レズビアン斎藤

とんねるずの番組で出ていた「保毛尾田保毛男」というキャラが、ホモをバカにしているっていうことでものすごく叩かれているらしい。
「面白くない」と言われて久しいテレビで、俺は件の放送を見て久々に声を出してゲラゲラと笑ってしまった。
昔、自分の書いた台本に「レズビアン斎藤」という女子プロレスラーのキャラを出したことがある。「レズビアン斎藤」は、実はノンケで、本当の苗字は高橋というキャラで、言い換えれば「レズビアンの斎藤」は「ノンケの高橋」で、ややこしいんだか、ややこしくないんだかよく分からないキャラだった。
レズビアン斎藤は自分が所属する会社の社長に「とりあえず、ビアンビアンしておきなさい」と無理やりキャラ付けをされる。それはもう「手帳は高橋」という文句並みに自分の意思とは反して勝手に決められて、その道を歩んでいくという話だった。
俺はレズビアンを軽視してそういうものを書いたわけではない。高橋という苗字は軽視していた。それは嘘だけど、そういう名前をつけたのは一重に「レズビアン斎藤」という名前の語幹がすごくいいから、というだけだ。
語幹がいい、というのはものすごく大切で、実を言うと、「墾田永年私財法」でもよかったのだけれど、出てくるたびに「墾田永年私財法」と台本に書くのがめんどくさかったことと、人名にしてはものすごく法律の名前っぽくなってしまうからやめた。
そこにきての「保毛尾田保毛尾」。
ものすごく語幹がいい。試しに口に出して言って見て欲しい。大丈夫。周りの人は「不毛だ不毛!」と勝手に空耳してくれるだろう。「あぁ、よっぽど不毛なことがあったんだな、かわいそうに。昼飯でもご馳走してあげようかな」とゴチになれるかもしれない。
「保毛尾田保毛男」はホモに明らかな悪意はなかったと思う。ただそれが面白いなぁっと思ったからやっただけで。当事者はそりゃあ、不快だろうけれど、当事者ない人が便乗して叩いている理由がいまいち分からなくて。
悪意がなければいいいじゃないの、と思うのだけれど、「悪意があるならするんじゃねぇ!悪意があってもするんじゃねぇ!」というよく分からない叩きはほぼ毎日何かしら”炎上”みたいな形であって、それはものすごく世の中が潔癖になってきている表れの気がして気持ちが悪い。
どうせみんなまんこから出て来たのにね。あんなビラビラとしたものから出て来たのに、どうして自分だけ綺麗でいようとするんだろうなぁ。
不思議だ。

三本締め太郎

俺は三本締めが上手い。パパパン、パパパン、パパパン、パンってやつ。あれが上手い。
難点は一般人における分度器くらい三本締めは実用的ではないということだ。三本締めの旬はだいたい年末で、多くは飲み会の終わりに行われる。ピアノのコンクールの最後が三本締めで終わった、というのは聞いたことがない。もっとも、そのような場に行ったことがない俺が知らないだけでピアノのコンクールは毎回
では、なぜ、三本締めが上手くなったのか。それは早く帰りたい気持ち一つで飲み会にいるからである。時間制限のある飲み会でもない限り、人はタラタラと飲む。そういう「なんとなく続いている飲み会」では、途中から半分くらいが「帰って撮り溜めしているドラマ見てぇなぁ」と思い始める。そういう空気と空グラスがテーブルに満ち始めたら、俺の出番である。
「それではみなさま。お手を拝借。ィよ~」
私の音頭で三本締めを始める。どんなにタラタラ続いた飲み会もその三本締めでパッと終わる。本当だ。
「となると、一本締めも、さぞやお上手なんでしょう?たいそう締められるんでしょうねぇ」
実は、実は一本締めの方が難しい。というのも、一本締めには関東式と関西式があるからだ。
「ィよ~パパパン、パパパン、パパパン、パン」が関西式で、「ィよ~パン」関東式。らしい。
日本各地から田舎者が集まる街・東京で、打ち合わせもせず一本締めをしようものなら、「パン」の人と「パパパン」の人がいて、何人かは二拍目をいれてくる。その場合「平均1.68本締め」みたいな感じになってしまい、せっかく一度ピリオドを打っているのに、「なんだかしまらねぇなぁ、もう一軒行くかぁ」とピリオドの向こう側に行こうとする人が出てくる。これは最悪だ。
だからといって、一度コンセンサスのも危険だ。
「じゃあ、一本締めをしましょう。あ、一本締めって関東式と関西式があって、今日は関東式の、一回『パン』の方で。いきましょうか?ね?」
「え、なになに関東式とか関西式とか。今川焼きと大判焼きみたいな?」「え、なんですかそれ。回転焼きのことですか?」「回転焼き~(笑)?言ってる人初めて見た。御座候でしょ?」「「「御座候~(笑)?」」」」「いや~これお国柄でるねぇ。じゃじゃじゃ、二軒目ではこの話しようかぁ」
…となる。しかも、店に着く頃にはそんな話も忘れて、どうでもいい話をしながら、またタラタラと飲む。地獄だ。
そういうことがありうるので、一本締めは意外と難しい。他の団体が一本締めをしてるのを受けて「そういえば、一本締めってさ、関西式と関東式があってさ…」という話をしておけば、「じゃあ、今日は関西式で…」と準備はできる。
注意すべきは他が一本締めをしてもいないのに、「そういえば一本締めってさ、関西式と関東式があってさ…」と言うと「こいつイキナリ一本締めの話をするなんて、」どんだけ帰りたいんだ」と思われてしまうので、これはこれで危険だ。
要するにどうでもいい飲み会を終わらせるには三本締めが一番向いている。そういう「飲み会終わらせ屋」としての食い扶持はないだろうか。
最近、割と本気でそう考えている。

新事成語

楚という国の商売人が「どんな盾でも貫く矛とどんな矛も通さない盾を売っている」言い、それを見ていた客の一人が「じゃあ、その矛でその盾を貫こうとしたらどうなる?」と尋ねると、商売人は「まう…まう…?」と言葉に詰まったという。
このことから矛盾していることを「矛盾」というようになった。
…ええっと。そういうことだ。説明は省く。
その手の故事成語は当たり前だが昔の話で、今路上で矛を売ろうものなら通報されるし、そもそも盾は買う必要はなく、「どんな盾でも貫く矛とどんな矛も貫けない盾があります!」と言う人がいれば「変な人いたwww」とツイッターに勝手にあげられるのが関の山だ。
だが、当時、それはもう”今”の話だったはずだ。”今”の出来事をうまく言葉にした人がいて、それが今日では故事成語として生きている。となると、2017年現在の事柄をうまく言葉にすると、1000年後にはそれが新しい故事成語として伝わっているというのも十分に考えられる。
ということで、新しい故事成語、その名も「新事成語」を考えてみた。

○逆綾鷹(ぎゃく-あやたか)
・由来:
それはもう丁寧に丁寧に作られた綾鷹というお茶がありました。綾鷹の急須で入れたような、にごりの旨味は、他のお茶とは異なり、試しに京都の料亭の板前100人に飲ませたところ「これは一番美味しい」と選ばれたのは綾鷹でした。一方で、100人が100人「これは雑味がすごいなぁ」「雑味がなぁ…」と思うお茶がありました。しかし、そこはいけずな京都人。「このお茶おいしないなぁ」とは言いません。「このお茶…なぁ?」「せやねぇ…」と、それぞれがそれぞれぼんやりした悪口を言っていた時、とある板前が「これは逆綾鷹やなぁ」と言うと、「せやせや」「逆綾鷹や」と場が盛り上がったといいます。
・意味:
ひどく雑な仕事、もしくはそれによって生じる結果が雑なこと。
・使用例:
「田中。この書類、逆綾鷹。やり直し」

○Suica富豪の貧乏メシ(すいかふごう-の-びんぼうめし)
・由来:
とある東京で勤める男がその日の朝、自分のSuicaに2000円チャージをしました。昼時、社外でお昼ご飯にしようと思い、会社を出ると財布をデスクに置きっ放しにしたことを思い出しました。
「まぁ、でも、ポケットにSuicaあるし…。朝チャージしたし…なんなら2000円もチャージしたから贅沢できるし…」
男はお店に入って聞きました。
「電子マネー使えますか?」
「ごめんなさい。ダメなんですよ」
「あ〜…」
二軒目。
「電子マネー使えますか?」
「ごめんなさい。うち電子マネーだめで」
「ですよね〜」
三軒目。
「電子マネー…」
「使えますよ!」
「使えますか!やった!」
「楽天Edyだけですけど」
「エディーめ…」
結局、コンビニで適当に買って、会社に戻って食べました。
財布には何なら3軒はしごできる金があったといいます。
・意味:
面倒臭がった結果、それなりに残念なことになること。
・使用例:
「田中、この書類、逆綾鷹。やり直し」
「(うわ、Suica富豪の貧乏メシじゃん)…すいませんやり直します」

○インスタ映えブス(いんすたばえ-ぶす)
由来:
とある自撮りの技術がすごいブスがいました。
出会い目的の男がDMで連絡を取り、二人はデートをすることになりました。
デート当日、集合場所に着くも男の方は彼女を見つけられません。しばらくすると、目の前にいた一人のブスが声をかけてきました。
「あの、すみません…」
「あ、ごめんなさい。今ちょっと、待ちあわせしていて」
「まさっちょ(アカウント名)さんですか?」
「あぁ!…ええ!?ゆうにゃん(アカウント名)さん!?ええぇ!」
なんやかんやでベットインした帰り道、まさっちょはゆうにゃんのインスタを見ながら「すげぇ可愛い娘と寝たんだなぁ」と思いました。
その日は満月でした。
・意味:
見たい側面だけを見ようと思えば見られる。
何に目をつぶるかは自分次第ということ。
・類語:
とけないパネルマジック(とけない-ぱねるまじっく)

○推しツイートの0いいね(おしツイート-の-ぜろいいね)
・由来:
ある人がツイッターで渾身のおもしろツイートをした。しかし、待てど暮らせど、「いいね」も「リツイート」もされない。数日後に呟いた「電車乗り過ごした」というどうでもいいツイートに「いいね」が5件くらいきて、少しイライラしたという。
・意味:
人とわかり合うのは毛頭無理なので、他人に過度な期待をするべきでないという教え。

…とまぁ、最近こういうことを考えている。
これを読んでいる人も興味があれば、是非自分の「新事成語」を考えてみてほしい。そして、思いついたら教えてほしい。
そんな風に思うのだけれど、多分誰も考えてくれないし、思いついたところで教えてくれないのを知っている。
まぁ、昔から「推しツイートの0いいね」って言うしなぁ。

ヘッド・ヤクザ

頭がヤクザにあった。先日のことだ。
徹夜で働いて明けた昼下がりの新橋、会社の帰り道に「あ、ヘッドスパしたい」と思った。
たまには贅沢したっていいはずだ。とはいえ、俺にスパは贅沢がすぎる。せいぜいヘッドスパかフッドスパ、そこらへんがお似合いだろう。頭寒足熱とも言う。言うからなんだ。よくわからんが、俺に全身スパはまだ早い。
新橋を<妖怪・へっどすぱ求道>よろしく練り歩く。そんな妖怪はいないが「求めよ、さらば与えられん」てなもんで、すぐに見つかった理髪店の看板には「ヘッドスパ 2700円」の文字。
2700円・・・。
難しいところだ。ちょっとした贅沢には違いないが、これが高いのか安いのか分からない。事前にヘッドスパの相場を調べてから来るべきだったのかもしれないが、わざわざヘッドスパ行くのに相場を調べるのもなんだかなぁ、だ。それこそスパだったら。スパに行くんだったら、相場・評判・名物スパティシャン(?)・発射・非発射いろいろ調べて行く。しかし相手はヘッドスパだ。わざわざ栃木に行くのに下調べをするような、タイムもマネーも無駄にする感じは否めない。
で、2700円・・・。
日高屋だったら、ラーメンにチャーハンと餃子付けて、ビール二杯飲んで余裕でお釣りが来るくらい?
いや、バカか俺は。これから贅沢をしようというのに日高屋を物差しにしてどうする。
もしかしたら少し高いのかもしれないが、よく見ると外装も高級感のある理髪店だ。北千住や南千住にある、店主が人の髪を切るのに専念するあまり、自分の髪を全く切らず好き放題に伸ばしていて、客が「逆にこっちが切りましょうか?」と不安になる店とはワケが違う。だとしたら、2700円。破格なのでは?
勇気を出して、店の扉を開ける。
「ヘッドスパを…したいです」
「ご予約は?」
・・・いるのか。見くびっていた。そうだ。ここは新橋・ビジネスの街。貧民街・北千住や南千住とは違う。よく見ると外装に高級感があったじゃないか…。初めから注意してかかるべきだった。
「してない…です」
間。
「大丈夫ですよ。どうぞ」
さすが、よく見ると外装に高級感がある店だ。無礼な訪問にも懐が深い。
「普通のヘッドスパとオイルとございますけれど?」
なんだオイルって。ヘッドスパを「頭をいい感じにスパしてくれる」くらいにしか思っていなかった俺にオイルという選択肢が現れた。しかも、わざわざ<普通の>を一回かましておいてからの<オイルの>だ。
「オイルで」
もちろん、二つ返事。ちょっと心の中でいい男風に言ってみた。
「オイルだと別料金頂くことになりますが、大丈夫ですか?」
男に二言はない。
「…オイルで」
発言自体は二言目だが、そう言った。
その後、座っていた椅子を倒され、仰向けになった状態になり、オイルで頭をスパされる。
「あー贅沢してる。あーこれ贅沢してるよ」
心の中でそう言った。口で言ったらバカだと思われるからだ。頭によく分からないオイルを塗り込まれながら、マッサージされている。ただそれだけなのに、こんなにも気持ちがいいのか?
これは…洗礼…?頭に油垂らされているし。
ヘッドスパ教のヘッドスパ教徒になってしまうのか?おれは?
そうか。これか。思わず教徒になってしまうかもしれないと思うほどの気持ち良さを金で手に入れる。これか、贅沢というのは・・・。
贅沢とはこれ即ち意味もなく金を使って気持ちいいことをすることなのかもしれない。
「もしかしたら、また来てしまうかもしれない」
心の中でそう呟いた。声に出したら、きしょい奴だと思われるからだ。
オイルをだいぶ塗られながら、頭を揉みほぐされること30分。すっかり「次はいつ来よう」という心でレジに向かう。
「5760円です」
おぉ…おぉ?…おぉ。お、おぉ?
…オイルか?オイルが何かを、主に値段を、底上げしたのか?俺は頭にガソリンでも塗られていたのか?何を恨めばいいんだ?アラブか?アメリカか?
5760円というのは、バーミヤンで言えば4人家族がそれぞれ「しばらく中華はいいかな」と思えるくらいたくさん食べられる金額だ。
でも払ったよ。大人だもん。アラブに払ったよ。悪いのはアメリカだよ。なんの話かな。そう頭がヤクザにあったんだよ。
慣れない贅沢はするものじゃない。そして、贅沢をしようとするとこういう罠にはまる自分を可愛いと思う。