つぶしてくれてありがとう

野菜ジュースを飲み終わって、パックの四隅をパコパコと開いてべっちゃんこに畳んだら、飲み口の面、糊付けされていて箱の状態だと隠れているところに「つぶしてくれてありがとう」という文字が印字されてること気がついた。
潰したら、少なくともゴミ袋はかさばらない。でもこれは、むしろこっちが「コンパクトになってくれてありがとう」案件である。潰すと、何か環境にいいのだろうか。燃えやすくなるとか。箱のままだとゴミ焼却場で、中の空気が膨張して急に破裂するから作業のおじさんが「うわ!」っていうのかもしれない。
理由はどうであれ。
なんか怖くない?つぶしてくれてありがとう。発言主が京都の人なら間違いなく嫌味である。
若手芸人が鉄板の身近に起こった話をテレビで披露する。話のテンションを張って張って…さぁ、言うぞオチを…って時に聞き覚えのある先輩芸人が横から「でも、それ、こいつのお母さんだったんですよ〜」、会場大ウケ。若手もつられて笑うけど、心の中では、「つぶしてくれてありがとう」。
プロバレリーナ原舞子は名前のおかげもあってか幼い時からコンクールで優勝に次ぐ優勝、その名を知らぬ人がいないくらい将来を有望視されたプリマであった。転機は10歳の時、たまたま同じ小学校に転向してきた帰国子女の桜木舞子が同じバレー教室にやってきたことだった。
はじめは良きライバルとして切磋琢磨をする相手であったが、次第に自分より少し上をいくことに舞子は少しずつであるが黒いモヤが心のどこかに生まれた。初めの頃は区別するために教室で「桜木の方の舞子さん」と呼ばれていた相手が次第に教室で目立っていき、初めて先生に「原の方の舞子さん」と呼ばれた時に舞子は桜木舞子を許せないと思ったのである。そんなことを物ともせず、帰国子女の桜木舞子は同じ志を持つ舞子をやたらと慕っていた。昨日見たテレビの話、今日持ってきたおやつの話、同じクラスにいるという好きな男の子の話。どれも楽しげに、それだけ心を許していたからなのだけれども、舞子にとっては至極鬱陶しく、馬鹿にされているのでは、と邪険に扱ったこともしばしば。あと、単純にマクドナルドやスターバックスをやたらといい発音で言うのも気に食わなかった。
とある重要なコンクールの舞台で、舞子は桜木の方の舞子のトゥーシューズに画鋲を入れた。舞子の悪意は結構な鋭角で刺さり、桜木は出場を辞退。代わりに出た舞子はみごと優勝を果たし、以降舞子は順調にプロバレリーナの道を歩むことになる。
一方の舞子のその先を知る者はいない。少なくともバレリーナとしては生きていない。
時は経ち、デビュー15周年の大きな舞台を新国立劇場で行うことになった。公演は大成功。主催者の計らいで打ち上げにはあるサプライズが行なわれた。それは幼き舞子にバレーの楽しさを教えてくれた師の来訪である。
驚き涙する舞子。式の終わり。先生からとある缶を貰う。
「ほら、もう1人舞子ちゃんっていたでしょう?あなたたち二人いつも仲よかったじゃない。あの子が教室を去る時に、二人でタイムカプセルを作ったって言って、これを私に渡してくれたの。せっかくだから今日、持ってきて」
その時までもうひとりの舞子のことなど忘れていたし、そもそもそんなタイムカプセルを一緒に作った記憶もない。家に帰る途中のタクシーで、カプセルを開けると、赤いクレヨンで書かれた手紙が一枚。そこにはこう書かれていた。
「つぶしてくれてありがとう まいこ」
…やっぱり怖い。つぶしてくれてありがとう。どちらの舞子も京都の人だったのかな、というくらい意地が悪い。あぁ、舞妓…。

ザ・ネクスト・ストップ・いず・こ?

人には人の乳酸菌があるように東京メトロには東京メトロのマークがある。丸の内線であればMに赤丸、銀座線ならGに橙丸てな具合で頭文字をぐるりと囲んでいる。
で、気がついた。半蔵門線は紫丸にZである。これは由々しき問題だ。俺の知る限り「半」はザ行ではない。調べてみると、Hはすでに日比谷線に取られていて、察するに生まれ年が若い半蔵門は先輩にHを譲ったのだろう。
「いや、先輩。俺にHは早いっす。半蔵門の半は半人前の半っす。いつかは全蔵門になりたいって思ってるんで、ここは自分、Zで。俄然Zで生かしてもらいますゼェー!」
こんな若い半グレみたいな話し方でHを日比谷線に譲ったのだろう。
「っーか、先輩、まじやばくないっすか?俺なんか半グレっすけど、先輩もう、全グレじゃないっすか?いっそグレーでカラーしけこんじゃいませんか?」
そんな具合で奴は日比谷先輩をHに灰丸にした。
ここまで読んだあなたならもうお分かりだろう。奴は姑息な後輩なのである。いつかは日比谷先輩を追い抜こうとしている。
他のメトロと飲むときに、こんなことを言うのだろう。
「日比谷のパイセン、真に受けちゃってさ。嬉々として鼠色。ださくね?明日からネズミ先輩って呼ぼうぜ。それに、H譲ったらさ、“英知とも読めるしなぁ”だって。何言っちゃってんのでしょ?どー考えてもエッチって読むよ。むっつりすけべの非リア先輩とも呼ぼうぜ」
まぁ、メトロ同士の飲み会があるかどうかはさておき、なんて悪いやつだ。「俺が全てを終わらせるZ〜!」と最後のアルファベットを冠に、ちゃっかり紫だなんて高僧かレディースの総長しか似合わない色を選んでいるところもずる賢い。
そんな奴のテリトリー内にある「水天宮」に私は最近通っている。
どのメトロもそうだが、それぞれの駅はナンバリングされている。銀座線の渋谷はどこか競馬の匂いのするG1、千代田線の明治神宮前はどこか「あれ、P0は?」となるC3てな具合で。察するに、現代社会のように複雑に入り組んだ東京メトロで、外国人が降りる駅を間違えないようにするためだろう。
水天宮で電車を降りるきっかけはいつも社内アナウンスがくれる。
「次は〜水天宮前〜水天宮前〜」
東京メトロはあのカイロ大卒の、卒とされている都知事のごとく、全く同じことを簡単な英語で繰り返して言う。
「ザ・ネクスト・ストップ・イズ…スィ・テン・グゥ・マェ、ズィ・テン…」
で、アナウンスは切れる。え、グゥ・マエ…は?え、グゥ・マエ…言ってないよね?え、なんで?途中で喋るの嫌になっちゃったの?聞きたいよあなたの声で。グゥ・マエ…。
いつもそんな不思議を抱えながら電車を降りていたのだけれど、今朝、人にこの話をしたら「え、あれはZ10(ズィ・テン)って言ってるんだよ」と言われた。
なんと紛らわしいことをしやがる半蔵門線め…。悪いやつだ…グゥぅぅ…おマエええ…。

三十路のミソジニスト

4月、5月とあれだけテレビを見ていたにもかかわらず、自粛が明けてからまあテレビを見なくなり、それと同時に世の中の流れに一つもついていけなくなっている。
そんな中、知りたくもないのに多目的トイレの話ばかりが断片的に入ってくるので、うっすらあの夫妻に想いを馳せたりしている。「妻が佐々木希だったら俺は浮気しないけどな〜」と想像力がないことをいう男は佐々木希どころか奥さんを持つことが望めない者がほとんどであり、そういうことを平気で言う奴は30やそこらの独り身を拗らせた奴が大半で、私はそれらを三十路のミソジニストと読んでいる。
三十路のミソジニストたちはアラサー女子をなんとなく鼻で笑う割には「男は30から」などと解せぬ信念の下、「いやぁ、俺も男として脂がのってきたなぁ」というが、男としての脂がビール腹を指すのであれば、牛と一緒で屠殺されてサシが入った状態で市場に出回り、ちょっと足りないお坊ちゃんの晩ご飯のおかずにでもなればいい。ビールを飲んだ育った豚って美味いと聞くし。
にしても、困ったのは「多目的」という言葉が使いにくくなったことだ。多くの場合、多目的と名のつくところは無目的というか、亜目的につかう。「え、今日会議室空いてないの?じゃあ、多目的室でいいか」という「あったら食べる」みたいなぬるい温度で使うところが多目的なんちゃらである。そういう場所はこの世に数多あり、当たり前だがその数だけ多目的なんちゃらはあったのであるが、件の彼のせいで、「え、今日会議室空いてないの?じゃあ、渡部屋で」とかそういうぬる〜いウィットの会話がこの世に発生せんとしているのである。これは誰も望んでいない状況であった。もちろん今一番望んでいない状況にいる奥さんだろうけど。
不倫や浮気はする人はする。男女関係なくする。性差ではなく個体差のレベルでするから綺麗事ではなくする。いい悪いでなくする。する人だと解してから、一人と一人になったり、それでも二人でい続けたり。どうであれ、する人がいつだって一人勝ち。された側は泣き寝入り。
二人を続ける選択がなんだか美談のようになる。「愛があるんですねー」だなんてやたらと美談にしたがるけれど、そこにあるのはきっと情けで、情けをかけられるのは情けを持たぬ人だから、人は彼を情けない人と言うのだろう。
テレビもまともに見ぬ日々だけれど、他所様のことを考えるくらいは暇。
それはそれで私も情けない。