エマージェンシー

いまだに

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメブロとか見ると

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
これくらいの行間を開けているのを見るけれど、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
こんなに行間を開けるくらいだったら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

はなから諦めて書かなくてもいいのでは?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
・・・・・・と思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
そういうエマージェンシースタイルで

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

たまには。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いいんだなぁ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

をさん

不毛地帯

目が覚めたらパイパンになっていた。
盲腸の手術後の話ではない。なんてことのない週の半ば、木曜日の話だ。
この一連の事件を語るのに、まず俺が用を足す時に「座りション」であることを説明せねばならぬだろう。私が「座りション」派に傾倒したのは「立ちション」の“漢み(おとこみ)”と「掃除することのめんどくささ」を天秤にかけた時に、漢みが負けたことが所以なのである。「~ならぬだろう」とか「所以なのである」と、かたっ苦しい言い回しをしているのは、せめて文章くらい漢みが欲しい故のフォローだ。「水中、それは苦しい」ではないが、フォロー、それはそれで女々しい。
「座り」にせよ「立ち」にせよ、ある程度息子の方向性をサポートしてやる必要がある。実の息子であれば「枠にとらわれない生き方を」とアドバイスをするだろう。しかし、こと「座り」においては「てめぇこのやろう!枠内におさまりやがれ馬鹿野郎!」とアウトレイジの北野武ばりに息子の首根っこを下に押さえつける必要がある。
おそらく、息子を自由にさせると全てが枠の外へ飛び出してしまうだろう。どうして、わざわざ「掃除」を最大限に減らしたスタイルを選び、「掃除前提」の用の足し方をせねばならぬのか。“息子 自由形”を採用したのちには、「ちゃんと息子をコントロールしておけばよかった…」と三田佳子みたいな気持ちになるだろう。
さて、話をその日の朝に戻す。
朝起きて、トイレに行って、気がついた。
俺はパイパンだ。
なぜ?知らず知らずのうちに巨人になる注射をされていた『進撃の巨人』の主人公・エレンのように、俺もいつの間にやら誰かに勝手に?だとしたら、これは『アタック・オン・パイパン』として漫画にすればいいのか?それはなに?同人誌?誰が買うの?儲けがなくない?
そう。もう毛がないのだ。
一回落ち着かなければならない。
昨晩の自分の行動を思い出してみる。しこたまお酒を飲んで、家に帰り、その後、風呂に入って、カミソリで髭をあたった後に…あたった後に…あたったのか…。
まさかの、アタッタ・オン・パイパン・バイ・マイセルフ…。
我ながら泣いていいんだか笑っていいんだか。とりあえず私は会社に向かった。
その日から酒を控えて数日後。
そういう状態であることをすっかり忘れて、町の銭湯へ行ったら、周りがもの珍しい目で見るわ、見られるわ。
一回、サウナで外国人男性に誘われた経験のある身としては「え、なに?やっぱり俺ってモテるの?」と勘違い。からの、自分の状態を思い出し赤面。
なにもこのタイミングで行かなくてもよかったのである。
しかし、結論として言えるのは、それだけべろべろに酔っ払った状態でカミソリを使ったのに、けがなくてよかったということだ。
…よかった?

今昔無意味奇譚「ハルマゲドンとハゲマルドン(下)」

〜前回までのあらすじ〜
隣のテーブルの人がうどんを吹いた。

「世界を終わらせる力を持つ」ハルマゲドンと「ただのハゲ」ハルマゲドン。
両親は村で除け者にされていましたが、さとしは「世界を終わらせる力を持つハゲ」なので、村の人はそこそこ気を遣いました。
子供というのは、一歩間違えば急に全力を出して大人を困らせる存在です。もし、さとしがふいに全力を出したらもうビックリするくらい世界が終わります。なので村の大人はそこそこさとしに気をつかうのですが、問題は今まで割と放ったらかしていた両親をどう対応し直そうかという話です。
村の偉いものたちが集まりました。
「もう何十年も空気のように扱ってきた二人をどうすればいいんだ?」
「朝、普通に声とかかければいいのか?ゴミ出しの時に、普通に『あぁ、今日はたくさんゴミ出すんですねぇ』とか言えばいいのか?」
「え、それは、え?普通か?」
「なるべく、今まで通り接しない方向で接していたいけれどなぁ」
「でも、それに息子が怒りとか覚えても困るよなぁ」
「さとしは怖い」
「あぁ、さとしは怖い」
「怖いよなぁ。さとしは」
ぐるぐるとどうでもいい話を大人たち。次第には話すこともなくなってきて、意見を求めるように全員が村長を見つめました。
「う〜ん…じゃあ、いっそみんな消しちゃう?」
「そうですね…」
これが日本の村社会の怖いところです。
その夜。
ハルマゲドンとハゲマルドンとさとしの住む家に、松明を持った村の若い者が集まります。
家に火がつけられたと気がついたハゲマルドンはハルマゲドンを揺り起こしました。
「大変だ。逃げなければ」
寝ぼけまなこの妻ハルマゲドンが言いました。
「ん?あぁ。まぁ。これくらいなら」
そうして何かを指でやったかと思うと、外の村人たちがこの世から消え、家につけた火もなかったことに。
「えぇ、君こんなことできるの?」ハゲマルドンは言いました。
「まぁ、その気になれば世界終わらせられるし」
「へぇ、すごいね」
そうして、この噂は村中に広がりさとしは小学校に入学していじめられることなく、ハゲなのにのびのびと育ったそうです。
この物語から分かることはなんでしょうか?
そう。それは、物語をいたずらに拡大するととても残念な終わり方になるということです。

今昔無意味奇譚「ハルマゲドンとハゲマルドン(中)」

〜前回までのあらすじ〜
おそらく最初で最後の「はなまるうどん」でキスをするカップルが生まれた。

その夜のことをハゲマルドンの妻・ハルマゲドンは思い出して、連載していた雑誌のエッセイでこんな風に言っています。

”あれは私の人生で最高の時間だった。何故かって?だって、あれは私の人生で最高の時間だったから。そうね、言い換えれば、あれは私の人生で最高の時間だったしら。噛み砕いていうとね……そう!私の人生で最高の時間だった”ー『ハルマゲドンのドン詰まりでも人生は』より

「世界を終わらせる力」を持つハルマゲドンと「ただの脱毛」のハゲマルドン。
二人はしばしば「はなまるうどん」での食事を重ね、次第に愛を深めていきました。ここで言う、愛を深めるというのは、心の深度ではなく、どちらかというと体の深度の話です。
なぜか、二人はうどんを食べ終わるとキスをしました。まるで、香川県でそのような儀式があるかのように。実際にそのような儀式は香川ではありません。いや、あるかもしれません。あってもなくてもどっちでもいいです。
そう。どっちでもいいです。
公共の場です。公共の場でのキスです。二人とも名前はカタカナですが、極度の日本人です。極めて一重まぶたです。そんな二人が公共の場で口づけをするものですから、周りは軽く引いています。もっとも、村中から悪い意味で空気のように扱われている二人なので、周りの人は引きすらするものの、無視はしていました。
とはいえ、「はなまるうどん」です。利用客にファミリーは多いです。
大人は見えてはいるのですが、大人は見えていないことにしました。子供は子供でその大人の雰囲気をなんとなく嗅ぎ取って、見えていないことにしました。
ある日。
うどんを食べ終わり、儀式のようなキスをした後で、ハゲマルドンは言いました。
「毎度毎度、こうしているだろう?僕は時々、分からなくなるんだ」
「何が?」
「果たして僕は、うどんを啜っているのか、君の唇を啜っているのか」
決してギャグとかではないテンションでそのようなことを言うものですから、隣のテーブルにいたお父さんは啜ったばかりのうどんを吹き出してしまいました。
恋をしている人は概ねバカで、他人にはギャグにしか聞こえない言葉がなんだかスペシャルな意味を持つことがあります。
ハルマゲドンにとって、ハゲマルドンの言葉はそんな言葉で、その夜、ふたりの体の深度はより深くなりました。
それから、しばらくして、二人の間には子供が生まれました。
ハルマゲドンとハゲマルドン、二人の名前の間をとって「さとし」と名付けました。
何を、どう、間をとったのか。そんなことはどうでもいいのです。
そう、どうでもいいのです。
つづく