そしてヘルペスが出来たの唄

先週小屋入りしたと思ったら、すっかり終わってしまった「だれかいるかも」。

ご来場いただいた皆様ありがとうございました。

オムニバスの三本芝居で、それぞれが関連性のある話ではないのにも関わらず、要は全く荒唐無稽なものだというのに、評判がいいのがありがたい。

三日間の短期公演について今回は振り返ろうと思う。

○初日

朝起きて確信する。風邪をひいた。

この日はゲネ(衣装付き通し)と本番がある。稽古が押し押しだったため、衣装をきちんと着てやるのはこの日が最初だった。つまり、本番を二回やるみたいなことだ。

あぁ、ただでさえやることが多いのに、具合が悪い。

とはいえ、昔、シブゲキの実験週間に参加した時に、一日で「搬入・場当たり・ゲネプロ・本番×2・バラシ・搬出」の全てをやるという、実験に成功した俺だ。きっと今回も体調が悪くてもなんとかなるに違いない。ならないかもしれない。

会場に着く頃には確信は自信に変わった。胸を張って言える。俺は風邪をひいている。

色々な人に「なぜいま?」という顔と「移すな近寄るな」という顔をされながら、ゲネプロ。七回くらいセリフを飛ばし、本番にとてつもない不安の残し、色々な人に「台本、もう一回ちゃんと読んでください」と到底本番の数時間前にもらうコメントではないコメントをもらう。一度読み返し、寝て、本番。

自分でもびっくりするくらいセリフを飛ばさなかった。俺、本番に強い。体は弱いが。

終演後、反省会をしていたら、小屋主さんが着てくれて労いの缶ビールをくれた。

軽く飲んで、近所の焼肉屋で初日乾杯。

○二日目

朝起きて確信する。まだ風邪をひいている。

とはいえ、昨日の肉が効いている。空元気だ。

昨日の夜公演の直しをところどころ場当たりして、本番。

とあるやんごとなき理由で昼公演は自分でもびっくりするくらい緊張していたのだが、自分で「ここウケて欲しいなぁ」というところが気持ちいいくらいにハマっていたので、まぁ、よし、とする。具合は悪いが、ウケるのは何よりも薬になる。

夜公演は小屋主さんが見に来てくれた。

3本あるオムニバスのなかで、俺が書いた台本は「老い」と「物忘れ」、時々「介護」がテーマだったのであるが、そもそも会場の目黒rusuという施設は小屋主さんのお母様が住んでいた場所で、また、実際にこの家で小屋主さんはお母さんを介護をしていた。そういう場所でやる俺の芝居はかなり強度の高い再現VTRみたいなことであり、押さなくてもいい記憶のスイッチを押してしまったかもしれないと思っていた。けれども、見終わった後泣きながら小屋主さんに「救われました」と言われて、「あぁ、やった意味があった」と心のそこから思えた。

自分が何かやるのは、とどのつまり誰かを救いたいからで、100人が見たら100人が違う感想を持つものを作っているのだから、その中で「救われた」という気持ちが1人でもいたのだとしたら、それはもうこっちの勝ちだ。

誰かを笑わせることも、誰かを感動させることも、時には逆に辛い思いをさせることも。受け手が持って帰る感情が何であれ、それがその人にとって何かしらの救いになるものが文化だと思いたい。

よくわからなかったという意見も多いのも、剣呑だけれど…。

○三日目

やっとこさ、ちょっと遊びどころを見つけたのだけれど、そういうのが見つかった頃に本番は終わるものだ。結果として全体を通して1番ウケたので、まぁ、千秋楽っぽいといえば、千秋楽っぽかった。

その後、息つく間もなくバラシ。公演が終わって、空っぽになった小屋を見ると、いつも「あぁ、ここでやってたんだなぁ」と切ない気持ちになる。また「あぁ、ここでやってたんだなぁ」と思うために、公演をするのかもしれない。その気持ちがいつだって次に繋がる。

疲れすぎてヘルペスが出来たが、幸い「面白い」という意見ばかりが聞こえるのがデキモノみたいな人生の救いだと思う。

思いついたらしかたない

今週末にある公演の「だれかいるかも」が小屋入りした。
今回の会場の目黒rusuというところは元々民家で、そこに住んでいたおばあちゃんが養護施設に移ったので、その家族が「取り壊すのもな…そのうち滅びるし…」という理由で特にリフォームなどもせずに解放をした場所で、普段は芸大生の個展なんかをやっている。言わば、高齢化社会と自己承認欲求が混ざり合って、結果何となくイベントスペースとなっている珍民家だ。元々高齢者が住んでいた場所なので、手すりがあったりスロープがあったりと福祉のレベルが高いものの、我々の芝居を観にくる多くは2,30代であり、バリアフリーの無駄遣い状態であるのもこれまた珍、である。
珍なれど、粗にあらず。
粗珍民家にならぬよう、まずは掃除から手をつけた。普通に丸一日かかった。
今年の春にとある芝居を見に来た折に、「ここ他に使い方あるんじゃねぇか?」と思ったのが始まりで、そこから立ち上がった公演であり、掃除をしながら「まじで思いつんじゃなかった…」と後悔。後悔先立たずと人はいうが、先立たれた後悔に泣いてばかりもいられない。
人間の不幸は思いついたところから始まる。
思いつかなければ不幸になることもなく、大体はなんとなく幸せに過ごせるものだ。
つい最近、「ムシャクシャしていたから」という理由で見知らぬ人の車に突っ込んでいき、肘鉄を食らわせフロントガラスを割る愛知県男性(28歳)がいたが、あれももう「思いついちゃったんだね」としか思えない。酒を飲む、とか、カラオケに行く、とか、いっそ人を殺すとかでもいい。いや、ダメだけど。
数ある選択肢のなかで、「よし!憂さ晴らしにフロントガラス割ろう!」と思ってしまった。
そんなアメリカのチカラ自慢コンテストの常連みたいな発想が、どうして愛知でできてしまったのだろうか。愛知にはそういう不思議な磁場があるのか?
被害者の方には同情するが、あんなに面白い映像がドライブレコーダーで取れてしまうとは思いもしなかったと思う。
「最近、高速での逆走とか多いと聞くし…。何かあった時のためにドライブレコーダーを…。自分には非がないことを証明するために…。」
結果として自分に非がないのはドライブレコーダーのおかげで明らかだが、その映像がまさかツイッター上でこんなにもコラージュされるとは思いもしなかったはずだ。
思いつき、と、思いもよらぬ。どちらも不幸であるが、自分のせいで招いた不幸の方がやっぱりちょっと味がある。そして、自分に向かう思いつきの不幸は「あ〜あ、思いつかなきゃよかったのに」で片付けることができるけれど、人に向かう思いつきは思いもよらぬ側からしたら、それは鋭い棘になる。
思いついたから汚職もするし、思いついたから核を落とすし、思いついたからフロントガラスも割る。
それでも、思いつきにもひかりはあるはずだ。
誰かが思いついたからスマホは便利だし、ロキソニンで頭痛は軽くなるし、あたらない方法で調理された牡蠣を食べることができる。
「だれかいるかも」はオムニバスで、その中の『生まれちゃったらしかたない』という作品を書いた。今年の一月に思いついた話で、結果としてやることが多くて、それはそれでやっぱり「思いつかなきゃよかったな」と思う日々だが、本番までのたくさんの「思いつき」がお客さんにとって何かひかりになればいいな、と思う。
ま、もっとも、これも思いつきで言っていますが。

えんえんら 公演情報
『だれかいるかも』
脚本・演出・出演=石渡愛(青年団)、村上カナカ、小田切おさん

日時=2019年10月25日(金)〜27日(日)
会場=目黒rusu http://rusu-meguro.blogspot.com/?m=1
ご予約= https://docs.google.com/…/1FAIpQLSea4voTAVy_85VFN…/viewform…
◆◆◆◆◆

【日時】2019年10月25日(金)〜27日(日)

25日(金)19:00
26日(土)14:00/ 19:00
27日(日)14:00

※受付・開場は開演の30分前から行います。
※記録・上映等に利用するための映像・写真撮影を行う予定があります。予めご了承ください。

【会場】目黒rusu
東京都目黒区下目黒3-4-9
3-4-9 Shimomeguro,Meguro-ku,Tokyo

【チケット】
予約=1,500円
※本公演は完全予約制です。予約は当日開演時間3時間前まで受け付けています。
※お支払いは当日受付にて、現金でお願いします。

【ご予約】
専用フォームよりお申し込みください。
https://docs.google.com/…/1FAIpQLSea4voTAVy_85VFN…/viewform…
※一軒屋での上演のため、席数が限られています。お早目のご予約をおすすめいたします。

【お問い合わせ】
meguro3.2019@gmail.com

突然のさだまさし

服を買うのが好きだ。

好きというよりか、好きな服を買うことによって「太るとこれが着られなくなるぞ」というストレスを自分に与えるいくという一種の体型管理方法を実践しているふしもある。ただ、最近の傾向として割とオーバーサイズの服を買うことが多いので、この作戦がどれくらい功を奏しているのか、というか、逆に服に体型があっていくんじゃないのか、それは本末転倒じゃないのか、という怖さがある。

いつから服を好みで買うようになったのか。

だいたいの子供は大人が決めた服を着る。子供が服に対して「これは私の趣味じゃない。これは色がダメ。形がよくない」とか言い出したら「うるせぇよ。こまっしゃくれてんじゃねえよ」と胸倉をつかみたくなるだろう。

一部の子供、例えば、マコーレ・カルキンとか芦田愛菜とか寺田心といった要は子役と呼ばれる人種はそれなりに金があるので、大なり小なり自分で選ぶかもしれない。いや、違うか。子役は親よりも強大なスポンサーとかプロデューサーといったPの音がやたらと強調された肩書の大人が選んだ服を着させられるのか。そういう意味でも、やはり子供は大人が決めた服を着る。

時折、公演なんかで突然全裸になる子供がいるが、あれは、「大人になんか支配されてたまるけぇい!大人が選んだ服なんか着てらんねえょコンコンチキ!子供にだって自分があるんでぃ!」というある種のストライキなのかもしれない。それはそれで「うるせぇよ。こまっちゃくれてんじゃねえよ。なんで江戸っ子なんだよ」って思うけど。

じゃあ、大人になって金があるから好みで服を買うのか。確かに金がないと好みで服は買えないが、別に服ばかりを買う必要もない。

子供の服を買う理由と大人の服を買う理由。その間にある大きな溝は一重に「成長」である気がする。

子供はどんどん大きくなる。これは靴にも言えることであるが、体が大きくなるとフィジカルに買い替える必要が出てくる。小学六年生男子が生まれた時のベビー服を着ようったって、せいぜい首元にかける前掛けになるくらいで、陰部は丸出し、通報されてしまうだろう。大きくなったら、大きくなったのに見合っただけの大きさの服が必要になる。

とはいえ、フィジカルに成長しなくなってからが人生の本番なわけで、体の成長のピークを過ぎたら悲しいかな、もう体は退化する一方なのに「中身が成長しなきゃね」みたいな空気を周りが醸し出す。中身が成長するかしないかはさておき、変わるには変わる。「これが私の一張羅」が明日には「何これ誰が着るの」に心変わりすることだってあるわけで、それはつまり絶対の感情なんかない、ということだ。だから、当たり前のように離婚したり、親子でも「死んでも会いたくない」となることもザラなわけで、逆に言うと、人の好みも服の好みみたいなもんなんだから、みんなもっと不倫とか浮気とかしちゃえばいいのにって思う。もちろん、バレたり人を傷つけたりする場合は除く、で。

試着室で浮気相手の顔が浮かびながら服を買おうか買わまいか悩んでいる人だってザラなはずだ。きっとZARAなんかには多い。まぁ、もっとも俺はZARAで服は買わないから、浮気も不倫もしたことないですけれど。する予定もないし。多分しないと思う。しないんじゃないかな。ま、ちょっと覚悟はしておけ。

マリコの特別な水曜日

「真理子」
「なにお父さん」
「父さん、本当に真理子には感謝している」
「どうしたの急に」
「男手ひとつで育てて、苦労もかけたと思う」
「え、なになに、怖い怖い」
「もっと、タピオカのこととか、タピオカの原料のキャッサバのこととか、タピってるって言葉の語源とか…」
「総じて、タピオカのことだね」
「そういう女子大生ならではの、女子大生女子大生したことを、女子大生ビジネスのことを考えたいのも知ってる」
「女子大生ビジネスはまた言葉の意味が…。え、酔っ払ってる?」
「いや、シラフだ。そして、自分でも驚くくらい冷静だ」
「そう…ならいいけど」
「真理子が毎朝早く起きて、朝ごはんとお昼のお弁当を作ってくれて、父さんは本当に頭が上がらない。いつもありがとう」
「いいよ。料理、好きでやってるんだし。え、怖いなに?女の人ができたの?」
「いや、違う。真理子は父さんが小さい人間だってこと、よくわかってるよな?」
「うん知ってる。朝、ダノンヨーグルトの蓋の裏、いっつも舐めてるし」
「そうだ」
「お弁当のおかずのハンバーグとか、私が大きい方を食べようとすると、決して口に出さないけど、目で何かを訴えるし」
「そうだ」
「お母さんのフェイスブックをしょっちゅう見てるのも知ってる」
「そうだ。…え、知ってたのか?」
「うん。黙ってたけど。あれは、小さいし、女として、少し嫌」
「そうか…。女として少し嫌と言われてから言う話でもないんだが、言ってもいいかな」
「うん、もう、結構、聞く姿勢だし」
「父さんのお弁当、最近少し、隙間がないかな?その、弁当の隙間が、気になるんだ。いや、最初は、移動の途中で寄っちゃったのかな、とか、本当はここに醤油差しが入る予定だったのかな、とか、シュウマイが蓋の裏にくっ付いたのかな、とか、お弁当箱を開けたら消えるシステムのおかずがここにはあったのかな、とか、いいように解釈をしていたんだけれど。明らかにその、二割くらい、空間があるよね。いや、それがナンだってわけじゃないんだ。でも本当にナンだってわけじゃなかったら、ワザワザ言わないんだ。その、いや、父さんな、小さい人間の方では結構頑張ってる方だ。小さいなりに、その小ささを全面にあえて出すことで出世していくタイプの、そういうタイプなんだ。部下にもよく言われる。部長、人間として小さいですけど、大きいですよね、って。そういうやつは、将来的には左遷させようと思っている。バカにされてるのか尊敬されてるのか。『好きだけど嫌い』みたいなことなのかな。恋愛の始まりみたいな。あ、そうだ、いい人はできたのか?いや、どっちでもいいんだ。できたら一度連れて来なさい。ぶっ飛ばすから」
「ねぇ、お父さん、何が言いたいの?」
「その、弁当がな、アレなのは、どういう理由があるんだ?」
「…軽減税率」
「なに?」
「軽減税率なの」
「ああ、そういうことか。え…どういうことだ?」
「ニュースで見たの。テイクアウトは8%、店内飲食は10%って」
「ああ、そういうことか。…ごめん、どういうことだ?」
「だから、外で食べるなら、10%が8%に減るの。2%減るの。だから、お父さんのお弁当を二割空間開けてるの」
「真理子。2割は20パーセントだ。2パーセントの場合は」
「小さくなってる」
「…すまない」
「…お父さん」
「なんだ」
「私は、お父さんと10%のご飯が食べたい。忙しいのはわかるよ」
「わかりみが深いのか?」
「茶々入れないと話が聞けないのかなぁ!」
「…すまない」
「…大声出してごめん」
「…」
「…茶々入れて来てもいい。小さくてもいい。私は、お父さんとこの家でご飯が食べたい。一週間に一回でもいいから、一緒にお昼を食べる時間が欲しい。大学生にもなって甘えるのも、なんか、こっ恥ずかしいけど、私に少し、自由に使える時間ができたら。なんだかそう思ったの。きっとお父さんに職場から一回家まで戻って来るっていう選択肢はないから、今この話を聞きながら、職場近くに来てくれないかな…って思っているのもなんとなくわかるけど」
「わかるのか?」
「顔に出てる」
「…すまない」
「どうかな?」
「家に帰ってくるのはしんどい。でも、大学の近くにならいける」
「え」
「大学の近くで食べるのはどうかな。大学の近くまでならいける。そして、店内に入ろう。10%でいこう」
「おとうさん…!」
その次の水曜日から、真理子と父・門左衛門は毎週毎週真理子の通う大学の近くの店でお昼を食べるようになりました。これは、真理子にとって軽減税率がもたらした楽しみとなりました。
しかし、その軽減税率がこれからの二人の生活を苦しめるものになるとは、この時は知る由もなかったのです…。

味気

某日

仕事で兵庫に。

小学生のころ数年間、西宮の鳴尾というところに住んでおり、せっかくだからと、鳴尾に住む友人Kのところへ遊びにいく。小学三年生の頃に知り合ったので、Kとは20年の付き合いになる。20年て。20年経っても自分が一向に人間的に成長していないことにも驚きを覚えるが、その月日の長さにも純粋に驚く。

近所にドブがあって、夏場はその不衛生極まりないドブに裸足で入って行っては、やたらとデカいオタマジャクシを捕まえては車に引かせるという、すごく民度の低い『スタンド・バイ・ミー』みたいなことをやっていた。そういえば、近所に大きな病院があったのだけれど、ある日、そのドブから結構な数の注射針が出て来て、今思うと、あれは悪ガキが巨悪に面した瞬間なのではないかと思う。そういう意味でも『スタンド・バイ・ミー』である。「どこが?」と聞かれても、あの映画を見たことないから、あくまでイメージの話をしている。

かつて住んでいた町を歩くと、「あの公園こんなにちっちゃかったけ?」「この店からこの店って、こんなに近かったけ?」と驚きのあまりパシパシ目を見開くことがしばしばあって、それはやはり人間として大きくなったから、であると思いたいのであるが、酔っ払っていてモノを見る目がおかしくなっていたからである気もする。

お酒が飲めない時に知り合ったKとお酒を飲むようになる。こういう時間があるから、まだ生きていてやるか、と思えたりするような、しないような。

 

某日

出張の日々も終わって、久々に家で自炊をする。玉ねぎと豚肉を生姜焼きのタレで味付けた炒め物、大根のお味噌汁、レンコンのきんぴら、納豆、炊き立てのご飯。

決して自分が料理上手だとは思わないけれど、自分で買い物に行って、作って、食べて、食器洗って、という当たり前の日々が戻ってきた感じがして、「これが丁寧な暮らしというやつか…」としみじみ。旅先で美味しいものも美味しいお酒もたらふく食って肥えて帰ってきたが、おうちごはんのあの心の洗濯感はなんであろうか。

美味しいとおいしいはきっと違う。俺は笑うことが好きだが同じくらいおいしいごはんも好きで、それは両方とも人間が簡単にしあわせになる力を持っているからだ。俺がシンプルすぎるだけなのかもしれないが。

こういう穏やかな日々が続けばいいと思うのだけれど、月末にある公演の準備がにわかに始まる。

あぁ、味気ない日々が欲しい。忙しいことはいいことであるが、忙しくないことも同等にいいことだのに。生きているだけでスケジュールが埋まっていくというのは、ありがたいことだと思いながら、眠る。